48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

FRONTIERS〜その先に見える世界

最近ビデオの定期的な予約番組に新しく加わったのが、NHK BSで放送されている「FRONTIERS〜その先に見える世界」という番組。

(画像:NHKホームページより引用)

 

たまたま「西之島」を扱ったときの放送をみて、「これは面白そうだ」と思って予約録画を設定したもの。

 

その時のテーマに沿った最新研究情報を、研究者の生の声を聴きながらわかりやすく示してくれる番組です。

 

テーマは多肢にわたっており、特に何かにこだわっているわけではなさそう。

 

オダギリジョーがナレーターをしているのですが、かなりの多くが研究者たちの生の声で日本語字幕でその内容を把握する、という、ちょっとした外国のドキュメンタリーをみているような演出がされています。

 

先日放映されていたのがこちら。

(画像:NHKホームページより引用)

 

恐竜は2億5千年ほど前の三畳紀という時代あたりから登場してくるらしいのですが、当時は恐竜とは別の大型の動物がいて、恐竜は小型で捕食される側だったらしいです。

 

(画像:福井県立恐竜博物館ホームページより引用)

 

いつしか恐竜は地球を支配する存在となるのですが、なぜそういう変化になったのかはずっと謎だったそうです。

 

それが数十年前に発表され当時は見向きもされなかったイギリスの研究論文が、イタリアの研究者によって見直され、今では恐竜の進化史においては不可欠な説となっているらしい。

 

三畳紀の時代、世界の大陸はパンゲア大陸といって一つにまとまっていたといいます。そしてかなり乾燥した時代で、その大陸のかなりの部分が砂漠で覆われていました。

 

その次代の恐竜は発掘調査から、大陸の南側のみに居住していて、その北側にある砂漠帯に阻まれて北へ移動できなかったらしい。

 

そんな恐竜たちはその後”突然”全大陸に勢力を伸ばします。

 

なぜか・・・

 

三畳紀の地層は含まれている鉄分が酸化しやすいため、赤い地層であることが多いようなのですが、そこになぜか緑色の地層があることをイギリスの研究者が発見。

 

調査を進めるとどうもこの緑色の地層が形成された時代は約2億3400万年前から約2億3200万年前まで200万年継続しており、かなり湿潤化、つまり大雨にさらされた時代だったのではないか、と主張します。

 

この時代はカーニアンと呼ばれていたことから、この200万年の間に起きた湿潤化は「Carnian Pluvial Event(カーニアン多雨事象)」通称”CPE”と命名されます。

 

しかし当時の研究者たちは「そんなことはありえない」と全然相手にしてくれませんでした。

 

ところが20年以上もたってイタリアの研究者による発見が、事態を一変させます。

 

イタリアにある三畳紀の地層から琥珀が発見されます。琥珀は木の樹液が固まったもの。木の樹液があるということは、大量の木があることであり、木が育つだけの十分な水分がある、という証拠にもなりうる、という見方ができます。

 

へ〜、とテレビ見ながら感心しちゃいました^^;;

 

では、なぜ突然水分が増えたのか。

 

その理由として海底火山の爆発が有力とされています。日本の面積の10倍くらいの広さに厚さ2キロメートルのマグマがたまるくらいの爆発が起こったことが、その後の発掘調査が確実視されつつあり、そんな大規模の火山爆発によって大気中の二酸化炭素が一気に増え、温暖化が起こり、海水が蒸発して大雨になったというメカニズムです。

 

これによって、砂漠に植物が育って砂漠帯が小さくなり、南側にいた恐竜が北側へ移動できるようになったと学者はみています。

 

そして背の高い針葉樹林が増えたことで、その葉を食べるのに適用するように大型化が進み始めたともみています。

 

では、恐竜が主流になったのはなぜか。その理由の一つが脚の構造にあるんだとか。

 

つまり、恐竜は今の馬のようにつま先立ちしていて走るのが早かったようです。なので火山の大爆発のような自然災害があっても逃げられる能力が高く生き残ったのではないか、と。

 

研究者たちの生の証言を通じて、こういった学説がただの解説ではなく、学者たちが熱意を持って語ってくるのは、なかなか迫力があります。

 

当時これだけの大きな変化をもたらした要因の一つが火山の大爆発で大量の二酸化炭素が発生したそうですが、現在の二酸化炭素の増加ぶりは当時の20倍以上あるそうです。

 

地球の気候変動は長い時間をかけておこります。地球上から氷が消えた時期もありますからね。問題はその変化の早さ。ここ数十年でおきている猛暑の増大、暴風雨の巨大化などに自分たちがついていければいいのですが。。。

 

 

 

 

研究活動は、直接なにか利益をもたらすという活動ではないのですが、こういった今やこれからの自分たちの活動に対する示唆を与えてくれるなぁ、とその大切さに気づかせてくれる番組ですね。

 

 

 

 

読書会〜カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」

 

今回の課題図書はこちら。

 

帯にもありますが、「なぜインドカレー店は日本のどこにでもあるのか?」という何気ない疑問から、ネパールという国の国情、ネパール人の気質など文化人類学的な領域に踏み込んだ興味深い本です。

 

ここで使われている「インネパ」ということば。「インド」と「ネパール」をくっつけた造語です。

 

元々は「ネパール人が経営するインドカレーのお店」を指していたようです。

 

そういえば、我々が普段目にする「インドカレー」のお店って、ネパール人が運営していることが多い。

 

看板も「インドカレー」と表示しているものもあれば「インド・ネパール料理」と表示しているところもある。

 

そういえば、カレー屋で「モモ」という大きな小籠包のような食べ物がありますが、これはネパールの料理らしい。

 

家の近くにあるインドカレーのお店なんて、居酒屋ででてきそうなつまみもおいてある(笑)

 

でも大抵は、バターチキンカレー、タンドリーチキン、ナンがあって、カレー&ナン&サラダの組み合わせのランチメニューがある、という同じようなスタイルです。

 

確かにどこも似たような感じですね。

 

これがインド料理と思っていましたが、インド・ネパールをよく知っている著者からみると、本場の料理とはだいぶ異なるようです。

 

インド北部では「ターリー」という定食が多かったらしい。肉か野菜のスパイス煮込み、ダルという豆の煮込み、人参や大根などの野菜をスパイスでつけたアチャールでライスを食べるらしい。

 

パンもあるらしいけど、ナンではなくロティやチャパティが多かったらしい。

 

バターチキンカレー、タンドリーチキン、ナンは外国人向けレストランでしか見なかったという。

 

ネパール料理も、ダル、お米、アチャール、発酵させた高菜などの素朴な料理らしい。

 

ということは、我々が日本で食べている”インド料理”って本場とは違うもの?

 

本書でも書いていた例の通り「中国の人がアメリカにいってカルフォルニアロールを”寿司”だぜ!といって”寿司や”をひらいている」みたいな感覚なのかもしれません。

 

実際多くの”インド料理”のお店ででてくる料理は、かなり”日本人の好みに寄せた”メニューなんだそうです。

 

中国からきたラーメンや餃子

イタリアからきたパスタ

インドからきたカレー

パンから発展した菓子パン

 

輸入からたくさんの独自料理を開発してきた日本ですが、「インネパ」も実はまけていなかった。

 

 

 

ネパールという国の実情とネパール人の気質、日本の入管制度といったいろいろな状況が絡み合って、今の「インネパ」ワールドが生み出されてきたことを、本書では多くのレジェンド級のネパール人たちへの直接インタビューを通じて迫っている、なかなかおもしろい本でした。

 

この本の取材を通じて紹介されていたお店にちょっと言ってみたいな、と思い、備忘録かねてお店をリストしておきます。

 

tabelog.com

1968年銀座で創業の老舗インド料理。今の日本のインド料理のスタイルを確立したそうです。

 

www.motijapan.com

日本初のバターチキンカレーを出したお店。

 

akbar.jp

名古屋地域に最初に根づいた老舗で40年以上働いているネパール人がいるらしい。

 

www.eikokuya-tea.co.jp

日本人が経営する、こちらも名古屋老舗。

 

アジャンタ

こちらも麹町に構える老舗のインド料理。比較的現地の味に近いという評判。

 

www.ginza-nair.com

こちらも古くから有名ですね。

桜田門外の変

連日のNHK番組系ですみません^^;;

 

昨日の「3ヶ月でマスターする世界史」のあとに放送されている「歴史探偵」からです。

(画像:NHKホームページから引用)

 

今週扱ったテーマは「桜田門外の変」。

 

当時の政治の筆頭者である大老が惨殺されるという、幕末に起こった日本史上でも大きな暗殺事件の一つです。

 

米国からの圧力もあり開国にむけて舵をきった大老井伊直弼率いる幕府に対し、水戸藩を中心とした攘夷派は反発、大雪の降る1860年3月3日桜田門外にて水戸藩士を中心とした18名の刺客によって、井伊直弼が討ち取られた、というのが我々が教科書で習った出来事です。

 

漫画日本の歴史などでは、かごから引き釣りだされた井伊直弼が最後は首を切られて絶命する、という描き方をされていることが多く、そういう印象を持っている人も多いのではないかと思います。

 

 

 

今回の歴史探偵では最近の研究で新たにでてきた学説について紹介されたのですが、その内容がなかなか興味深いんです。

 

1)少ない刺客でなぜ暗殺は成功したのか

井伊直弼側には60人の護衛。一方刺客は18人。人数比では圧倒的に不利。しかも、肝心の井伊直弼は居合の達人で、自ら流派を立ち上げるほどの猛将。どうやって刺客は井伊直弼を討ち取ったのだろう。

 

2)井伊直弼は、切られて殺害されたのではない?

井伊直弼が絶命させた方法は実は全然違っていた。その方法とは?

 

3)暗殺後実は国内分裂していた恐れがあった?

主君を殺された井伊家は、徳川家康時代に使えた井伊直政以来譜代大名の中ではトップ。一方刺客の水戸家は御三家の一つ。

 

幕府の中心にい続けた井伊家は主君が殺され黙って入られません。彦根城にいた家臣の一部は水戸家に仇討ちをするために上京するものがでてきたそうで、それこそ、忠臣蔵の幕末編が起こってもおかしくない状況になったそうです。

 

でも歴史上忠臣蔵幕末編は起きていません。なぜそれは防がれたのか?

 

4)井伊直弼は3月3日に暗殺されたが、墓石には「閏3月28日」と記されているのはなぜ?

その理由を説明できそうな資料が発見されました。それは・・・

 

過去に大老を5人も排出した名家の井伊家でしたが、薩摩・長州を中心とした新政府軍と旧幕府軍が戦うことになったときに、新政府軍側につきます。その理由の一つは、14代将軍家茂が亡くなって、次の将軍になったのが、なんと宿敵だった水戸斉昭の息子である一橋慶喜だったことも要因だったかもしれない、という見解も紹介されています。

 

新しい資料の発見の紹介とともに、このあたりの井伊家の心のゆらぎみたいなところも解説してくれているので、素人の我々にも興味深い内容になっています。

 

 

 

井伊直弼は、安政の大獄を指示し吉田松陰始め多くの志士を弾圧し、のちに倒幕の対象となる、いわゆる”悪役”的な立場で伝えられてきた印象があります。

 

私がもっている講談社の「学習まんが 日本の歴史」第14巻で登場しますが、描かれた表情もやや悪役的に描かれています。

 

ですが、ページの欄外に書かれている”豆知識”では、上述の1)と2)について言及されていました。さすが最新の情報を盛り込んだだけのことはあります。

 

またその豆知識で「彦根藩主時代は領民に慕われ、藩政に熱心な名君という評価だった」ことも記載されていることから、実は大老時代も評価できる活動も多かったのではないか、と推測しています。

 

 

 

今週は歴史系で興味深い番組があって、食事時の視聴が充実していました(^^)

3ヶ月でマスターする世界史

夕食後にひさしぶりに銭湯へいって身体を温め、帰宅してからストレッチ。

 

この日の夕方のランニングは思いの外ペースがあがり、1月のレースとほぼ同じくらいのタイムで走ったので、まあまあ足腰に疲労が残っていました。

 

ストレッチも入念に、ということでNHKプラスでなにかないかと探していたら、こんな番組が目に入ってきました。

(画像:NHKホームページより引用)

 

www.nhk.jp

 

学生の頃は暗記作業が嫌いで、歴史は日本史も世界史も苦手科目でした。

 

日本史は社会人になってから興味持つことが増えて、日本史に関する話に興味を持つようになりましたが、世界史についてはまだまだ^^;;

 

世界史に登場する人物の名前がまず覚えられないのと、話があっちこっちに飛んでつながりを感じられなかったことが苦手意識を生んだ理由かもしれません。

 

そんな私の眼の前に現れたこの番組。

 

どんな内容になるのか興味がわき、たまたま第1回の放送がNHKプラスの視聴期限切れ直前だったので、第1回と第2回を視聴しました。

 

感想は・・・

 

なかなかおもしろい(^^)

 

第1回の冒頭で、ファシリテーターのアナウンサーに、ガイドをしてくれる教授からこんな質問が出されます。

 

「”コロンブス”ときいて何を連想しますか?」

 

アナウンサーは「新大陸発見、でしょうか」、と。

 

教授から

 

「確かにそういう認識をしている人は多いですね。でもこれは”ヨーロッパからの視点”なんですね。世界史の多くはこのように”ヨーロッパ視点”が多く登場するのですが、それを我々東洋の側から見ると、また違った見え方ができます」

 

という解説がありました。なるほど、それは面白い視点。

 

この番組では、世界史の人物やできごとを”覚える”のではなく、世界全体がどんなつながりをもっていたのか、という俯瞰した視点で歴史をとらえようと試みる、とのことでした。

 

第1回では、メソポタミア文明インダス文明など、”第一次文明”の時代について。

 

”第一次文明”は他から文明の影響を受けることなく独自に発展した、いわゆる文明の走りでもあり、私の世代では教科書で「四大文明」として、エジプト文明メソポタミア文明インダス文明黄河文明を記憶させられました。

 

現在の研究では、中国の長江文明や中米のマヤ文明も一次文明ではないか、と言われているようで、もう”四大文明”ではない、というのが主流のみかたのようです。

 

さて、そんな一次文明ですが、どうもその文明の発達には、「遊牧民」の存在が大きかったそうです。

 

メソポタミア文明がおきた地域の発掘から、現在のパキスタンあたりで取れる染色剤が使われた遺跡がみつかり、遊牧民が物流に大きな影響を与えていたんじゃないか、と学説が有力視されてきたんだとか。

 

なかなか興味深い。

 

第2回ではローマ帝国について。

 

ローマ帝国の繁栄の鍵を握っていたのは、実はアジアだった、という解説をしてくれます。

 

つまりアジアからのシルクロードが大きな役割を果たしていたのです。

 

ローマがヨーロッパを統一したころ、東は後漢、その間にも2つの大きな王朝があり、シルクロードが大国によって守られていたことから安心できる行路になっていたみたいですね。

 

また、西で大きな王朝ができて地域統一がなされたとき、同じようなタイミングで中国でも全国統一が果たされています。

 

西でアケメネス朝が支配したのち、中国では秦が統一をします。

 

西でローマ帝国が支配していたころ、中国では漢が支配をしていました。

 

西と東と同じようなタイミングで歴史が動いていたんだな、という視点も面白かったです。

 

そしてこの番組、解説に2人の学者がでているのですが、異なる自説を番組内でそれぞれ披露する、というNHKらしくない(笑)演出もあり、いろいろな見方や解釈ができる楽しさがあることを伝えようとしているところも感じます。

 

 

 

 

30分番組で時間も手頃なことから、ちょっとしばらく視聴してみようかと。

 

3ヶ月でマスターできるだろうか(^^)

読後感想〜ヤフーの1on1 部下を成長させるコミュニケーションの技法

 

久しぶりに読書会の課題図書以外の本を読みました。

 

しかもこれまた久しぶりにビジネス書です^^;;

 

ビジネススクール在学時代は色々と自己啓発系を中心に多くのビジネス書を手にしたし、学友などと色々語り合ってきましたが、最近はこの手のビジネス書というものにとんと興味がない^^;;

 

これまで事業の軸であったシェアハウス運営って、規模を拡大して会社を大きく育てようという気概があれば、ビジネス書から学びたいと思う事柄が、まだまだたくさんあったような気がします。

 

会社を興したときはそんなイメージも持っていましたが、実際にやってみて、自分のやりたい運営は規模や利益追求が目的ではなく、いかに関わる人を応援できるかが目的であって、規模や利益は単なる結果に過ぎないということに気づきます。

 

すると、人間観察と教養づけが主になって、マーケティングやらファイナンスやら人事やら戦略やら全然関係なくなっちゃった(笑)むしろ民法などの法律やDIYスキルなどの方が身についてきました。

 

それからこのブログでもご紹介してきたように、いろいろなことがあり、今はシェアハウス運営は1棟のみとなり、外部企業から委託いただいた業務が中心となりました。

 

その中でも多くの時間が必要な3つの業務委託(うち1つは委託元の都合上、法人契約ではなく非常勤雇用の契約となっています)で求められる専門性は、様々。

 

1つ目は、SaaSなどIT系ソフトウエア商品

2つ目は、人事

3つ目は、生成AIとプロジェクトマネージメント

 

プロジェクトマネージメント以外は、私はトーシロー(笑)

 

今回の本は、2つ目の専門性「人事」を必要とする業務で必要となったもので、たまたまシェアハウスの書棚にあったので読んでみました。

 

1on1とは、1対1で面談をすることをいうのですが、上司から一方的な指示、調査、評価ではなく、部下のモチベーションを上げることを主眼においていることが、これまでの面談との大きな違いです。

 

昨年LINEと合併したヤフーで、日本企業の中では比較的早くこの仕組みを制度化して会社全体に導入されたときの中心人物が著者です。

 

全部で5つの章で構成されていますが、第4章、第5章は、「企業において」という視点が必要なのですが、第3章までは日常の生活におけるコミュニケーションにも役に立つ話が多いと感じます。

 

ポイントの一つは、「相手が話やすい環境と空気を作ってあげる」こと。

 

そして、「相手の話を受け止めること」もポイントの一つです。

 

この二つのポイントは、相手から情報を得るうえでは基本で、「傾聴」という言葉でも表現されることがあり、コーチングの技術の1つでもあるそうです。

 

昨年1年掛けて実施した1on1ミーティングでも、このスキルは大いに役に立ちました。

 

ただ、1on1はこれだけでないのがミソ。

 

技術やスキルを教える「ティーチング」や、相手の行動に反応する「フィードバック」という要素もあり、これらは私のような外部委託の人間では、難しい要素です。

 

 

 

結局は、普段からコミュニケーションがとれれば言うことはありません。

 

価値観や働き方が多様化してきた現代では、忙しい上司に話しかけにくかったり、残業を嫌う部下に声をかけにくかったり、在宅勤務が増えたり、コミュニケーションを取りにくくなってきています。

 

企業の中で制度化することでコミュニケーションを確保し、相互理解を深め、仕事の質や本人のモチベーションを高め、ウェルビーングなライフ、組織にしていくこと、それが1on1という仕組みの狙いのように思います。

 

7つの習慣」で有名なフランクリン・コヴィーが提唱した「時間管理のマトリックス」で「緊急でないけど重要」に相当する行動です。

(画像:フランクリン・プランナーのホームページより引用)

 

今の私が目指している時間の使い方は、まさにここ。しっかり準備をして慌てずに対処すること。「備えあれば憂いなし」です\(^o^)/

読書会〜知性は死なない 平成の鬱をこえて

 

今回の課題図書はこちら。

 

文藝春秋から出版された単行本に関連テキストを増補したものです。

 

前回の「天才と発達障害」に続いて心の病気に関する書籍・・・と思いきや、本書はちょっと様子が違います。

 

”元”歴史学者(この”元”を著者はあえてつけて自称しています)の著者が、比較的若くして大学で教鞭を取る職につき、メディアにもでることが多い論客の1人として活躍していましたが、体調が悪化して大学の職を辞することになってしまいました。

 

その体調悪化は「うつ病」によるという診断。

 

会話することはおろか、文字を読むことさえおぼつかなくなるくらい症状が悪化し、そこから治療を経て回復していく中で、これまでの視点に新たな視点が加わって、「知性」というものを眺めた、そんな本です。

 

著者も本書で繰り返し言及していますが、「決して自分に対しての同情を求めているわけでもなく、回復できた自分を認めてほしいといったことでもない」。

 

自分がかかった病気というものを正しく知ってほしいし、能力主義でつらい思いをしている人、孤立している人たちを励ましたい、という真摯な思いが凝縮された一冊といえます。

(表現の一部は巻末東畑開人氏の表現を引用)

 

第1章では、著者が病気を発症するまでの経緯が綴られています。どれが原因、というのではなく、「そういう環境にいた」という事実を知ってほしい、とのこと。

 

第2章では、「うつ病」に対する誤解について、実際に罹患した本人の視点で語られています。

 

第3章では、「躁うつ病」とはどういう病気なのか、について語られています。著者の病気は正確に言うと「うつ病」ではなく「躁うつ病」とのこと。この章はある意味”肝”でもあり、「言語」と「身体」という概念を学びます。そして「知性」ということについてようやく触れられるようになります。

 

第4章では、その知性に対する「反知性主義」について語られています。著者がどういう視点で”反知性主義”を語っているか、そしてその反面である”知性主義”をどうとらえているのかが語られています。

 

第5章では、知性主義が崩れていく様子を、「帝国」「民族」という指標を使って考察しています。

 

第6章では、「病気から見つけた生き方」として、平成の時代について考察してます。

 

そして「おわりに」で閉じられるのですが、その後3つのコラムが増補されている、という構成です。

 

コミュニズムは「共産主義」と訳すのではなく「共存主義」としないと誤解を招く。

・あらゆる資本主義はコミュニズムとのブレンド

・躁はエネルギーの前借り

・属性も能力も問わずに評価してくれる人はいるだろうか

・しあわせとは旅のしかたであって、行き先のことではない(ロイ・M・グッドマンの言葉)

 

病気の話、政治の話、大学の話、時代の話、天皇制の話など、話題が、よく言えば「多肢にわたって」いて、悪く言えば「とっちらかっている」内容なので、読むのにちょっと時間がかかります。

 

ただ、文字を見ることもできなくなった著者がリハビリを通じて、本をかけるまで復活したことを考えると、著者本人にとってとてつもなく大きな壁を乗り越えたのではないか、と想像させられます。

 

私の勝手な印象ですが著者は、まじめで、心優しく、人の幸せをこよなく願うことができる人ではないかなぁ。

 

解説と帯を東畑開人氏が書かれているのも興味深いです。

 

このあとがきがとてもわかりやすい。ほんのタイトルが「知性は死なない」となった理由がわかる気がします。

 

読書会でも一度著書を扱ったことがあります。

 

www.almater.jp

 

 

読書会〜天才と発達障害

 

今回の読書会の課題図書はこちら。

 

「創造」「才能」がいったいどのようにして生まれてくるのかを、誰もが知る天才たちを具体的に挙げながら、精神医学的見地から解き明かすという内容です。

 

歴史上の天才たちには、精神疾患の傾向がみられることが多い。これは数々の医学的データから明らかになっているそうです。

 

本書では、発達障害には「マインド・ワンダリング」(いわゆる「心ここにあらず」の状態)、そして「過剰な集中」という2つの特性があることを指摘。そして、相反するこの2つの特性が、天才の特異な能力と密接に結びついているという仮説を提示しています。

 

(以上の紹介文言はAmazonの紹介ページから引用)

 

野口英世モーツァルトアインシュタインダーウィンコナン・ドイル山下清らに加え、黒柳徹子水木しげるといった名前もでてきます。

 

他にも東京ラブストーリーの赤名リカ、レインマンシャーロック・ホームズといった物語の中で登場する人物たち、源義経斎藤道三といった歴史上の人物も登場します。

 

俗っぽくいえば「点は二物を与えず」ではないですが、突出した能力があれば、ちょっと足りない面もあって、うまくバランスがとれていることってよくあるよなぁ、なんて話を耳にします。

 

この本ではむしろ逆の視点で、「何か足りない面があっても、一方で優れた能力を有していることもあり、そういった”特長”に目を向けることで、多くの人の可能性を感じてほしい」という視点が著者の意図の一つではないかと感じます。

 

甥っ子がある意味発達障害でもあるんですが、ガジェットの扱いは天才的で、スマホタブレットのパスワードもこっそり盗み見て覚えているし、家電も教えてないのに自在に扱うことができちゃいます。

 

そんな甥っ子の能力を身近に感じていたので、この本で語られていることは違和感なく読むことができます。

 

 

 

社会の変革には「イノベーション」が必要だ、とよく言われます。

 

イノベーションを起こす人物、私の私見では、それは凡人にはなし得ないことで、選ばれし天才や奇人がなし起こすんじゃないかと思っています。

 

会ったことはないですが、アレキサンダー大王、ジンギスカン織田信長ニュートン、ベートーベン、ゴッホピカソなど名だたる人たちは、おそらく奇人変人だっただろうと(笑)

 

それは蔑視ではなく、むしろその凄さに対する畏敬であり、尊敬であり、羨ましさでもあります。

 

そういう視点にたつといかに自分が凡人であるか、と思い知らされます。決して聖人君主ということではなく、”突出した”ものを持ち合わせてないと自覚することで、いい意味で自分に対して余計な期待をもたなくなりました(笑)

 

凡人には凡人なりの生き方や貢献の仕方があり、それを大谷翔平や、藤井聡太や、徳川家康のような大スターめざすなんて、おこがましいことを考えなくていいわけで、気持ち的にはだいぶ楽になります(^^)

 

 

 

小さい頃はいろいろ他の子供達よりでもできることが多かったためか、何か自分はちょっとできるんじゃないか、なんてのぼせていたときもありましたが、多くのすごい友人や知人とたくさん出会えたことや、自分のこれまでの歩みを振り返って、「世の中すごい人たちがたくさんいるんだ」ということを素直に受け入れられるようになりました。

 

この本を読んで「自分はイノベーターではない」ということを確信しました(笑)

 

多くの人達について言及しているのでとても興味深い内容でした。

読書会〜むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました

 

今回の課題図書はこちら。

 

ウェルビーングという言葉自体は、1946年のWHO(世界保健機関)設立に際して、設立者の1人であるスーミン・スー博士が定義づけした「健康」にはじめて登場していたそうです。

 

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康は、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない
(出典:厚生労働省 昭和26年官報掲載の訳)

 

(以上Message|はたらくWell-being(はたらくウェルビーイング)ってなんだろう? | PERSOL(パーソル)グループより引用)

 

私個人としては、最近のバズワードか、くらいしか思っていないくらいの、低意識でしたが、この本を読んで反省しました(笑)

 

ウェルビーングは上述の英文にあるようにwell-beingと記載されます。

 

wellは「良い」を意味しており、beingは「その状態にある」を意味しているので、簡単に言えば、ウェルビーングは「良い状態にある」ことを表します。

 

そのウェルビーングがどんな状態かはひとそれぞれ。

 

会社を退職してから自分にとってのウェルビーイングを求めてきましたが、この本はその過程で感じてきたことをたくさん言語化してくれてきた気がします。

 

なんでもないことを幸せと思える感覚。

人格の首尾一貫性を求めないこと。人は多面体であること。

上ではなく、奥を目指す精神性。

「する」ではなく「いる」だけでいいという存在感。

お金持ちになることとウェルビーイングであることは違うという感覚。

愚者を責めない感覚。

能力で人をみないという感覚。(あるがままでいい)

手に入れるのではなく手放すことから始まるウェルビーイング

「する」「なる」ではなく「いる」をよしとする感覚。

正しさだけでは人は動かない。

「因果」よりも「因縁」。

ハプニングを素直に受け入れる。

自己肯定感の低さにとらわれない。

「移動」からウェルビーイングは始まる。

 

抜粋しただけではなんのことやら、と思われると思います(^^)

 

 

 

今から思うと、11年前に会社を辞めたとき、それまでの自分がウェルビーイングでなかったと感じていたのかなぁ。

 

収入面では当時に比べるとかなり下がりましたし、生活基盤も不安定になっているのですが、ウェルビーイングという観点からすると、今の方が高いですね。

 

上昇志向の強い人からみると、つまんない人かもしれません(笑)

 

現実周りからそういう人はかなり少なくなりました。

 

この本にもありますが、ウェルビーイングの有り様は時代や環境、文化などで変化するもので、自分の人生の中でもウェルビーイングを生む環境は変わっていくだろうと思います。

 

 

 

いつもウェルビーイング、というわけにもいかないです。

 

そもそも、ウェルビーイングを感じられるのは、「ウェルビーイングでない」状態がありそれと比較できるから、です。

 

だからウェルビーイングでない状態を受け入れることが、ウェルビーイングを感じられる前提でもあると思います。

 

そう思うと、ちょっとした苦労をあえて選択するということへの抵抗感がぐっと下がる気がします。

 

 

 

そんな観点で、今年はちょっと苦労をしたほうがいい年と捉えて今を受け入れている自分がいます(^^)

読書会〜サカナとヤクザ

 

今回の課題図書はこちら、「サカナとヤクザ〜暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う〜」でした。

 

作者はヤクザの取材や著作で有名な人で、私と同じ年(^^)

 

取材を通じて多くのヤクザと接触していたので、ある意味ヤクザの”知り合い”も少なくない(笑)

 

そんな著者ですが、決してヤクザを奨励するとか擁護するということではなく、あくまでも”事実”としてのヤクザ、暴力団の活動を「一次情報」を集めて、独自の視点でその裏側に迫ろうとする、まさにジャーナリストな人、という印象です。

 

そして本書。芸能界に日本なら暴力団アメリカならマフィアが大元を取り仕切っている構図があったことはほぼ常識感覚です。映画ゴッドファーザーをみれば、あの超有名な歌手も庇護のもとだったのだろうということが想定されます。

 

著者も関連する本を出しています。

 

そしてこの本では、漁業に焦点をあてています。

 

この本を読むと、いかに漁業という世界がずぶずぶだったのか、その一端を垣間見させてくれます。

 

三陸のアワビ、北海道のなまこ、カニ、ウニ、東京の築地、千葉の銚子

 

この本で取り上げた地域です。

 

地球資源保護の観点で、漁業の乱獲が問題視されていますが、この本を読むと、日本はまぁひどいことやってます。

 

そしてはそれは日本だけではなく、中国、台湾、香港といったところでも同様。この3国についてはウナギを巡った密輸シンジケートが取り上げられていました。

 

 

 

この本の面白いところは、ただヤクザや半ヤクザが躍動している、ということだけを取り上げているのではなく、なぜそういう状況になったのか、というところにも視点をあてて取材をしているところ。

 

そして著者自身が直接取材して得た一次情報であるところがすごい。

 

根室第二次世界大戦における北方領土の問題や、政府への不信感、ソ連の思惑といったところが複雑に絡んでいるであろうことを、取材を通じて浮かび上がらせています。

 

北方領土を主張しているがゆえに、北方領土での漁を取り締まることができないもどかしさ。

 

そう言えば2月7日は北方領土の日でしたね。

 

築地では、社会に受け入れられない人たちの事実上の受け皿になっていたこと。

 

中国で高額で取引されることから、あまりにも美味しいビジネスだったアワビやナマコ。

 

漁師の限られた娯楽である、赤線、賭博を取り仕切るために古くから暴力団の巣窟だった銚子。

 

その多くは通常ルートだけではなく、非正規なルート、つまり密漁によって得られた収穫で消費者の要求するボリュームを賄っているという実態。

 

この本では、消費者側の姿勢についても、ちくっといれています。飽食の世界に対する皮肉でもあるかもしれません。

 

 

 

「反社会的勢力」との関係は、就職や契約関係などで不適格条項として必ず登場しますし、多くの人は普段接する機会がなく、テレビなどで放映されることを対岸の火事のように見ていることと思います。

 

ところが我々の生活に関わるところのちょっと先に大きく関与している可能性が高いことを、この本は示しています。

 

多くの人がやりたがらない仕事をやっている面もあり、単純にいい悪い、好き嫌いだけで論じるような話ではないとは思います。

 

ただ、我々が”不必要に”求めることも、乱獲や密漁の横行を側面から後押ししている面も否定できない気がします。

 

結局誰が悪い、という話ではなく、人間の業の深さのなせることの一旦なのかもしれませんね。

 

 

 

大黒屋光太夫

毎週火曜日夜10時からNHKで放映されている(東京地区)「先人たちの底力 知恵泉」で2週続けて放映されたのが「大黒屋光太夫」。

 

(画像:NHKプラスより引用)

 

1週目は「生きるか死ぬか 極北のサバイバル術」

 

2週目は「皇帝を動かした諦めない心」

 

恥ずかしながら私はこの人物のことを知りませんでした^^;;

 

まずざっくりどんな人物か。

 

大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)は江戸時代後期、現在の三重県鈴鹿市あたりを拠点としていた船の船頭です。

 

天明2年(1782年)に、江戸に向かう途中で嵐に会い、船が漂流しアリューシャン列島に漂着してしまいます。当時そこはロシア領で、簡単には帰国できず、苦労して約10年後にやっと帰国を果たした、というサバイバルな人です。

 

放映された番組によると、キーとなる要素が2つあったように感じました。

1つ目は、「現状を受け入れて今できるベストを尽くす」。

 

もう1つは、タイトルにもありますが、「諦めない」。

 

1つ目の「現状を受け入れて今できるベストを尽くす」というスタンスは、節目節目で光太夫の行動に現れます。

 

船が嵐にあったとき、帆柱を切断する決断をします。帆柱があるとバランスが取りにくくなり転覆するリスクがあるのですが、自力走行できなくなるため、漂流することを覚悟しなくてはなりません。今命をつなぐためには、という究極の選択をしたんですね。

 

ロシアに漂着したあと、光太夫たちは言葉も通じない人たちを相手に途方に暮れます。そんな時に、ある乗組員が偶然、ロシア語の「これなに?」という意味の言葉を知り、それをきっかけに、ロシア語をどんどん吸収して、現地のメンバーと意思疎通を図れるようになります。そして現地の人にお願いして帰国用の船をつくってもらったんですね。

 

その船は残念ながら出航前に沈没してしまうのですが、その後現地の高官と積極的につながりをもち、その人達を説得して日本への帰国をしぶるロシア帝国を動かすべく、最後はロシア皇帝エカテリーナ2世に直談判する機会をもらえるまでになります。

 

自分たちだけではどうにもならないことを、上手に人を頼ることでプラスアルファを目指そうとしていたんですね。

 

もう一つは諦めない。

 

「絶対日本に帰国するんだ」という気持ちを捨てなかったから、エカテリーナ2世への直談判を通じて帰国が実現できたんですね。

 

当時鎖国をしていた日本と通商交渉を持ちたかったロシアは日本と交渉するために、日本人が漂着したら国で保護して通訳を育てようとしていたそうです。

 

なので、光太夫たちにも破格の待遇のオファーがあったらしい。

 

太夫は、漂流が始まったときも、ロシアに漂着したときも、極寒のシベリアを移動するときも、とにかく諦めなかった。

 

10年という歳月は、言葉にするのは簡単ですが、凍傷でやられるかもしれない極寒で、しかも得体のしれない言葉の通じない人たちが支配している地域で、自分を保つことは、想像を絶する過酷さがあるのではないかと思います。

 

ここは私の勝手な想像ですが、きっと光太夫は「しゃーないやん」と思える人だったんじゃないか、と。

 

「文句言ったって、しゃーないやん!なんとかせな、生きられんわ!」(なぜか関西の言葉・・・)みたいな(^^)

 

結局17名で遭難し、1人が船内で死亡、11名はロシア領内で死亡、2人はロシア正教に改宗して残留、3人が根室に帰国できたが、そのうち1人は喀血病で亡くなったので、江戸に戻れたのが2人だけだったといいます。

 

太夫が戻ってから、幕府はロシアに関する見識をたくさん得ることができ、日本のその後の外交政策に大きな影響を与えました。

 

余談ですが、多くの乗組員が病気や栄養不足、凍傷などで亡くなっていくのですが、船頭であった光太夫は生き残ります。

 

ただ体力があっただけではなく、やはり「絶対日本に帰る」という強い気持ちが生命力を支えた、いわゆる「病は気から」を体現した人ではないか、というのが私の妄想。

 

いや〜、すごい人がいたもんだ。。。