Facebookでも投稿しましたが、「センスは知識からはじまる」という本を読みました。
センスは知識の量がものをいう
まったく新しい観点でした。
「センスとは数値化できない事象の良し悪しを判断して最適化する能力」
と著者の水野氏は定義していました。
へ~、なるほど・・・
「私はセンスがなくって、と逃げていませんか」
ぎくっ・・・はい、逃げていました・・・
「そえはセンスを磨く努力を怠っていたということですよ」
が~ん・・・
すなわち、センスは知識の集約として発揮される能力で、
実はそれを上手く言語化できないことが多いために、
「センスがいい、悪い」という表現で片づけられているようです。
でもその人の頭の中では、この知識がかみあって
実に論理的に結論を導き出しているらしい。。。
そういわれればそうかも。
私は、これまで色々な経験がパズルのピースのようにばらばらな状態で保持されているのですが、
それがあるきっかけで、続々とつながっていくような感覚になることがあります。
シェアハウス事業をやると決めた時もそうでした。
両親、外国嫌い時代、米国赴任、英語苦手、不動産投資、
MBA、家族状況、大企業勤務時代などがいわゆるピースでした。
東京にオリンピック招致が決まったことをきっかけに
これらのピースがつながり始めたんです。
そしたら「シェアハウス」に行きつきました。
私にとっては全くの初めての事業・経験ですが、
自分の人生の要素としては行きつくべくして行きついたのかも、
なんて思ったりします。
今回読んだこの本は、「センスってそうなんだよ」って言われた気がします。
多くの経験を通じて身体・脳に集まったパズルのピースが
センスを支えているんですね。
でも、俺ってセンスないなぁ、っていう自己嫌悪感はまだぬぐえないです(笑)