48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

あるがまま

先日MBAシェアハウスで行われた

「右脳で絵を描くセミナー」の講師の方と

お手伝いをしているご息女様とお打ち合わせ。

議題は、本セミナーの続編開催のお願いです(^^)

場所は横浜にお住まいということで

「横浜といえば」とgoffoにお越しいただきました。

この「右脳で絵を描くセミナー」は

決して「絵がうまくなるためのセミナー」ではありません。

「対象物を『見たまま』捉えること」が本質的なことで、

乱暴な言い方とすると、

捉えたことを絵としてアウトプットしているにすぎないのです。

アウトプットは絵でなくてもよく、

言葉でもいいんですね。

でも絵は見たままで伝わりますので

アウトプットとして絵を描くのはとてもいい手段だと思っています。

シェアハウスからgoffoにいく電車の中で

たまたま先日友人がFacebookにあげていた

「あたりまえアダムス」という本を読んでいました。

伝説の広告マンが主人公なのですが、

この広告マン、決して派手なことをしているわけでもなく、

「あたりまえ」と思えることを愚直にやり抜いて

実績をあげてきました。

この「あたりまえ」とセミナーの本質的な「みたまま」が

要素として共通するなぁと感じています。

目の前にあるもの、起こっているものに対し

「見たまま」に捉え、「あたりまえ」に反応することが

余計なフィルターを介さず事実と正面向くことなのかなぁと。

「右脳で」といっているのは

理性や既知の知見というフィルターを使わないことを意味しています。

「森」と聞くと「緑」と思って

緑色の絵の具で塗りたくる、ことではないのです。

「森」イコール「緑」がまさに既知の知見というフィルターです。

よ〜く森を見ると白や、黒や、黄色や、茶色や、

同じ緑でも黄緑、濃い緑などたくさんの色で構成されていることがわかります。

それを丁寧に色付けしていくことで

「森」を描くのではなく「目に見えている風景」を

「あるがまま」に描くことになるのです。

技術が進んで、情報量が膨大になり

情報の質も玉石混交、事実と意見の混同など

情報の内容は正直ごちゃごちゃです。

自分の知見でフィルターをかけて

不要な情報を捨て、必要な情報だけをとろうと皆さんしているのですが、

そのフィルターって大丈夫かな・・・

私は正直自信ないです。

持っている知見がそんなに幅広くもなく深くもないと思っているので。

でも情報に接するにあたり

「あるがまま」にとらえて「あたりまえ」に感じてみると

情報の取捨は知見のフィルターを使うよりなんかしっくりくる印象です。

本質的なことに目を向けられている気がするからでしょうか。

それとも目の前にある事実を見れているという安心感からでしょうか。

「右脳で絵を描くセミナー」は私が何度も受講したいと思っています。

見たままで捉えるということを訓練したいからです。

なので年に数回という形でセミナーしていただくこと

無理してお願いしちゃいました(^^)

講師の方はこの後運転があるということで

ご息女の方とノンアルコールでしたが

私はすっかりビールから泡物、赤ワインと堪能しちゃって(^^)

昼間っからですよ(笑)

でも気がついたらあっという間の3時間。

これからのセミナー活動、また楽しみになってきました。