今回は読書会とは別に敬愛する山口周氏著作の「劣化するオッサン社会の処方箋」を読みました。
山口周氏の著作は読書会で2度登場しています。
いずれもストレートで鋭い切り口でかつわかりやすい言葉に示してくれているどれも私にとって良書の本たちです。
先日このブログでオッサンというがん細胞を取り除かないと、という内容を寄稿しました。
そのきっかけとなった本がこの「劣化する・・・」です。
この本は
- オッサンとはどんな存在か:定義
- オッサンたちがもたらす弊害:問題提起
- 実は優しくなかった日本企業:常識へのクサビ打ち
- 質が問われるこれからの社会:提言
- でもまだ輝けるオッサン:希望
こんな構成になっています。
冒頭からかなりオッサンと定義される人たちへのディスり(笑)が続きます。
しかも理路整然と(^^)
オッサンの自覚がある人は耳が(読んでいるから「目」かもしれませんが)痛いことしばし・・・
しかし最後には、それでもこれから輝く人生を送れる可能性は十分あるんだ、ということを示してくれています。
答えがあるわけではなく、これからの行動に対するヒント、というものでしょう。
本で引用されている2人の言葉がとても象徴的です。
「されば才のともしきいや、学ぶことの晩(おそ)きや、暇(いとま)のなきやによりて、思ひくづをれて、止ることなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば、出来る者と心得べし 本居宣長『うひ山ぶみ』」
「年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うときに初めて人は老いる。
サミュエル・ウルマン『青春』」
(いずれも本著最終章「本書のまとめ」から引用)
本居宣長の言葉からは「何かを始めるに遅すぎることはない」ということ、サミュエル・ウルマンの言葉からは「好奇心を持って学び続けることを忘れるとオッサンになる」ということを言っているのではと、山口氏は解説してくれています。
私も48歳で起業し49歳でシェアハウスの運営事業を始めたので、決して早いスタートではありませんでした。
でも「遅い」とは思ったことがありません。
人生100年、と言われて久しいですが、私は昔から「100歳まで生きる」気がしていたので(笑)50歳で折り返しにすぎないわけで、そこから20年、30年やればベテランになれるから、50歳で始めたってなんも遅いとは思わなかったんです。
実際私の祖母は101歳で大往生でした(^^)
本著で「オッサンが偉かったのは経験が生きたから」という件(くだり)があります。
私はこの「経験」はとても大切にしていますし、自分の強みは経験を積んでいくことだと思っています。
変化の早いこのご時世に過去の経験は不要なだけでなくむしろ弊害となって現場の活動を阻害することが少なくありません。
私は「経験」で得られた「結果」だけを振りかざすからこういうことになるんじゃないかと思います。
大事なのは「結果」ではなく「結果を得るための思考や工程」です。
眼の前に起きている現象をどう捉えて、因果関係を捉え、仮説を立てては試して確度をあげ、解決に向かっていくその思考と工程です。
これは経験を重ねれば重ねるほどトレーニングを積むことになります。
本著でも触れている「失敗の重要性」。
仮説を立ててその仮説が外れたことを失敗というならば、失敗は単に仮説検証の結果にすぎないわけです。
失敗をたくさんしているということは、それだけいろいろな試みをしているということ。
もっと前に戻ればそれだけいろいろなことを考えてきたこと。
口を開けていれば餌がもらえると思っている人、すなわち会社に行けば給料がもらえると思っている人、それがあたかも“権利”のように勘違いしている人、思考停止しちゃってるんですね。
こういう人が本著でディスられる対象になっています(^^)
でもね、右肩上がりの成長していた社会が長く続くとなかなかその思考停止の心地よさから抜けられないんですよね〜。
だからちょっと自分で「痛いな」という経験をすると自分で行動するきっかけになるかもしれない。
「しまった〜」とか「失敗した〜」なんていうこと。
私も退職してからよくありました(^^)
自分のその思考と行動がよかったのか悪かったのか、これはきっと死ぬ直前になって評価できるのかなぁ。
それまではどんどん変化するから、今は良くても明日は悪くなるかもしれないし、その逆もありうるし。
自分の人生、簡単にいい悪いの評価はできないですよね。
いつも進行形。
だからいろいろな可能性がある。
また素敵な本に出会えました(^^)