48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

また会いたかったなぁ。。。

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夕方旧職の先輩からメッセージが届いた。

 

元上司Dさんが亡くなった。

 

60歳か61歳という若さだった。。。

 

2年弱に渡る闘病であったが、残念ながら奇跡は起きなかった。

 

2年前の春、旧職場の同窓会でお開きなる直前にDさんが珍しく

 

「ちょっと時間もらっていいかな」と言ってきたそうだ。

 

そう、私はその場には別の用事があっていけなかったのだ。

 

Dさんの口から出てきた言葉で帰ろうとしていたみんなの足が止まったらしい。

 

「私は今ガンでステージ4です。週明けから入院して抗癌剤治療を受けます。

 

もしかしたらこれが皆さんと会える最後かもしれません。

 

ありがとうございました」

 

そんな内容だったと聞く。

 

その後のことはその場にいて私に話をしてくれた先輩もよく覚えていないそうだ。

 

話を聞いた私もその後のことをよく覚えていない。

 

瞬間的な脳しんとうだろうか。

 

あまりにもショックで脳が自主的に記憶を消したのだろうか。

 

 

 

旧職で最もお世話になった上司の1人といって過言ではない。

 

当時の課長さんとぺいぺいの私の間で係長さんとしてチームをまとめてくれていた。

 

課長さんはなかなか厳しい人で、その後どんどん出世して6年で役員まで上り詰めた。

 

その厳しさは時に現場を苦しくすることも少なくなかった。

 

Dさんはいつも間に入って我々に対するクッションとして、時としてよきアドバイザーとして若手だった我々にのびのびと仕事をさせてくれた。

 

私がアメリカでお客さんのトラブル対応のために現地でビデオデッキ7台とビデオカメラ3台を購入したとき、本部で怒られながらも承認をとってもらった。

 

私がやることに注文をつけたことはない。

 

「思ったようにやりなよ」だった。

 

私がヘマしても課長に怒られる役はDさんだった。

 

入社5年目で開発設計の部署に初めて所属し「今更設計なんて無理だろ」と揶揄されていた私が、その6年後には統括課長になるまで信用をもらえていた。

 

一時期そのDさんは組織上私の部下になったこともあった。

 

どんな立場でも私を支えてくれる姿勢は変わらなかった。

 

みんながばらばらになった後も、当時の課長さんのチームだった人たちに声がけして同窓会の幹事をやってくれ、いつになっても我々の世話をやいてくれていた。

 

 

 

なんでそんな人がガンに・・・タバコ吸わないのに・・・

 

優しさの塊だったけど、頑固さの塊でもあった鹿児島県人。

 

入院した後お見舞いに来られるのは嫌がるタイプだと思い、入院した後は病院に行くことができなかった。

 

 

ステージ4・・・

 

心のどこかで覚悟の気持ちはありつつも、もしかして・・という奇跡も信じていた。

 

覚悟はしていたけど、その時がきて動揺は抑えられなかった。

 

ひたすら関係する人に連絡した。

 

数年ぶりに連絡をとった人もいた。

 

知っている限りの人には連絡ができた。

 

いただいた返信にも返事した。

 

今やれることはやった。

 

 

 

慌ただしい方がよかった。

 

気が紛れる。

 

無念だったのかなぁ。。。

 

それともふっきれてたのかなぁ。。。

 

夢枕に出てきて話してくれないかなぁ。。。

 

もう1回会いたかった。。。

 

会って「ありがとうございました」とお礼が言いたかった。。。

 

 

 

来週お礼をいいに伺います。。。

 

 

 

天国に向かう時にこのブログ読んでくれるかなぁ。。。