今年も3月11日がきました。
東日本大震災から8年がたちます。
当時12歳で小学校6年生だった学生さんたちは今年成人ですね。
月日の流れは早いものです。
この震災では多くの人が大なり小なり影響を受け、今でもその影響をひきづっていらっしゃる方々が少なくないと想像します。
私は私なりに影響を受けた一人。
今MBAシェアハウスに短期で女性ロシア人がゲストとして滞在しています。
ちょうどテレビで3.11の特集番組をハウスメイトと一緒に見ていました。
「このとき自分は仙台に住んでいて会社も津波でやられたんだ」という話をしたらとても驚いていました。
彼女は「日本は災害がとても多いのにしっかり生きているって、精神的にとてもタフなんじゃないか」と感じたようです。
「確かにそうかもしれない。日本は地震、津波、豪雨、台風、火山などたくさんの天災と長く付き合ってきたから、自然と共存する生き方が身についてしまっているんじゃないか」
私はそう答えてみました。
天災ではないですが、江戸時代、江戸は2〜3ヶ月に1度大きな火災で江戸の街の大きな部分が灰と化していたのですが、その都度木場に溜め込んだ木材をつかってスピード復旧していたと聞きます。
災害に対してへこたれない強さはあったかもしれませんね。
1995年の阪神淡路大震災をきっかけにボランティア活動が本格的になってきたと言われているようです。
私はなんとなくですが1990年に入ってからすなわち平成になってからの災害がいろいろと印象深いです。
1995年 阪神淡路大震災
2000年 三宅島噴火、
2004年 新潟中越地震
2013年 台風26号
2014年 広島土砂災害
2016年 熊本地震、台風
本当はもっとあるんですが、住人避難やボランティアによる活動が必要と思われるような事象にぐっと絞り込みました。
平成になってからだけでもこれだけあります。
現場で頑張っているボランティアの方々にはいつも頭が下がる思いですが、なんというか、災害が起こったときの行政、企業、自治体、ボランティアの連携感を未だに感じないのはなぜだろう。
東日本大震災での最大の学びの一つは「備えること」だと思っています。
津波の大きさ、原子力発電所の事故の深刻さ、都市機能の麻痺、いずれも「想定外」で片付けられかねない流れもあるのですが、どれも少しでも「備え」をしていたら動きは違ったはずです。
不十分でも水だけは確保しておこう、そう思っていつも机の下に2Lペットボトルをおいていたり、食事のために缶詰を常備したりしています。
電池がなくても手巻きでライトをつけられるラジオも常備しています。
タクシーや調達、お礼などでお金が必要になるかもしれないから、常時ある程度のお金を現金で持ち歩いています。
どこでも寝れるようにシェラフも持っていたりしてます。
いざというときにどのように行動しようか、両親とも折につけ話をしたりしています。
昨年の北海道地震のとき、母がマンションで被災したことはこのブログでもご紹介させていただきました。
母は食料、水、ラジオ、ラジオ用の電池などを備えていたこともあり、状況が落ち着くまで母はじっとしてたのです。
「備えていた」からこその冷静さだと思いました。
災害が起きたときに、多くのボランティアの方々や現場にいけなくてもいろいろ支援をしたい人たちの善意を現場に届けるための仕組みは、日本という環境の中にあって不可欠だと思うのですが、どう機能が十分されていない気がします。
募金もそう、どこにどれだけ届けられたかいつでも見れるわけではありません。
さきほど江戸時代の大火の話をしました。
大火に備えて江戸の街がとった施策は
・家はいつでも壊せるように簡単な作りにする
・延焼をふせぐために容赦なく家は破壊する
・鎮火後復興のための木材を木場に集める
・その費用は組合を作って組合の費用で捻出する
だったそうです。
2〜3ヶ月に1度広いエリアが焼失していた江戸の街。
だからこそ備えるということを、行政、経済(お金持ちの商人の寄付もあったようです)、人がつながって乗り越えてきたんですね。
災害が起こってもその被害を最小限にとどめ、最短の回復を図るための仕組み作りってとても大事な社会の設計事項ではないかと思います。
お金のある人(機関)はそこに必要資金を投入し、お金のない人は自分たちでできる備えをし、いつでも動けるように訓練するということが積み重なると、悲しむ人を減らせるんじゃないかな。。。