48歳からの挑戦

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読書会〜「友達幻想」

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今回の読書会の課題図書は菅野仁氏著の「友達幻想」でした。

 

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

 

今のSNS全盛の時代にあって、いい問いかけのタイトルかな、と思いました。

 

読み始めたときは「あれ、ちょっと薄っぺらいかな」なんて感じたのですが、読んでいくうちに膨大な研究から得られた見解を平易でわかりやすく表現しているからかな、と変化してきました。

 

私の印象としては「距離感」について語ってくれた本です。

 

これは今私がシェアハウス運営において最も大切にしていることの一つで、入居者と私との距離感、入居者同士の距離感というものを常に意識して環境創りをしています。

 

前回の課題図書「天才を殺す凡人」では「相手へのリスペクト」がキーワードでしたが、この本のキーワードは「自分に正直で謙虚で」かと思いました。

 

自分の能力を高めるための頑張りは必要であることが往々にしてありますが、「限度を超えた頑張り」は自分を傷つけてしまいます。

 

そして傷ついた自分は周りの人を傷つけていくんです。

 

直接傷つけることもあれば、傷ついた姿を見せることで傷つけることもあります。

 

 

 

会社で辛いことがあって落ち込んでしまった。

 

まさに傷ついた自分です。

 

家族のいる我が家に帰ってきます。

 

パートナーやお子さんに八つ当たりしてしまう、これは直接傷つけることですね。

 

逆に元気なく言葉も出ない状態で食卓に座り黙って食事をしている。

 

すると、その姿をみる家族は辛い思いをします。

 

これが傷ついた姿を見せることで傷つけることです。

 

 

ではどうしたらいい?

 

傷ついた自分を押し隠して気丈に明るく振る舞う。

 

いいでしょう、それができるのなら、そしてそれで返って気が晴れるのなら(^^)

 

でもそれもできないことありますよね。。。

 

こんなとき無理して気丈にならずともパートナーに「今日しんどかったんだぁ」って話ができたら楽ですね。

 

ほどよい距離感があれば、パートナーはいい距離をもって話をきいてくれるでしょう。

 

 

 

本書に書かれていることはとても共感することが多いのですが、一つだけ異論を感じたとしたら、「言葉遣い」のところでしょうか。

 

著者は、ある「コミュニケーションを阻害する」ネガティブな感情の言葉使いについて触れているところです。

 

これはその言葉遣いをし始めてから態度がギスギスしてきたため、使わないように指導をしたら態度が変わってきた、というものです。

 

 

 

確かにそういう面はあるかもしれません。

 

ただ、私は言葉は時代とともに変化していくもので、その変化は新しい文化をつくっていく原動力だと思っています。

 

私は明治の文豪と呼ばれる人たちの書く文章が苦手です(^^;;

 

なぜか?わからないからなんです(笑)

 

明治といえばたった100年くらい前です。

 

森鴎外舞姫の冒頭の文です。

石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈しねつとうの光の晴れがましきも徒いたづらなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば。

 

舞姫は1890年に発行されたので、今から約130年前ですね。

 

いや〜読みづらい(笑)

 

今から300年ちょっと前に発行された松尾芭蕉奥の細道の序章。

月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は日〃旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。

 

この時代にしては現代文に近いかもしれませんが、それでも言い回しがだいぶ違います。

 

そして約1,000年前の源氏物語の冒頭「桐壷」。

いづれの御時にか、女御にょうご、更衣こういあまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際きわにはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。

 

私が古文苦手だった理由はこんなところにあります。(笑)

 

もう単語そのものが違いますね。

 

おそらくこの時代でさえもこのような表現方法は批判にさらされていたことが想像されます。なんせ、新しい世界でしたから。

 

確かに心が荒れるような言葉はあると思います。

 

しかし何かしら自然の流れで、残るものもあれば淘汰されるものもでてきます。

 

10年前、20年前の流行語大賞となった言葉でも今や「死語」となったものはたくさん。

 

でも残るのはそれなりに利用価値があるからで、これからの文化に必要な言葉なのではないかと思います。

 

大事なのはその言葉を受け止める言葉や文化ではないかなぁ、と。

 

 

 

著者が「おわりに」でこんなことを述べています。

 

(中略)これまでの常識をちょっと疑って、人と人との距離の感覚についてほんの少しだけ敏感になった方がいいのでは

 

著者が伝えたかったのはここかな、というのが私の所感です。

 

「ちょっと」と「少しだけ」が、今我々でもできるんだ、ということを表現している気がします。

 

 

 

「距離感」はこれからの人間関係にとってとても大切なキーワードだと思います。

 

 

 

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)