48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

読書会〜「日本経営哲学史」

f:id:almater2014:20190822134440j:plain

今回の課題図書は林廣茂氏著作の「日本経営哲学史」でした。

 

日本経営哲学史 (ちくま新書)

 

賞味390ページ近くもある新書としてはかなりボリュームのある書です。

 

日本人の思想の系譜をたどり、江戸時代に培われた武士道と商人道を経て、明治から昭和戦前・戦中の帝国時代、戦後からバブルまでの経済成長時代、バブル後の低迷時代と経営哲学の変遷を追っています。

 

そしてこれからの時代における経営思想の提案と、別文献に対する反論で〆ています。

 

 

 

これだけ広く網羅して体系だてて思想の変遷を解説してくれてる書籍はなかなかみあたりません。

 

その流れにふれるだけでもこれは一読の価値があると感じました。

 

タイトルは「経営哲学」とありますが、実際は日本人の思想や宗教観に深く考察をいれており、むしろ日本人というアイデンティティの根底を支えている価値観を解説しているようでさえあります。

 

 

 

第1章の冒頭で著者がこう言ってます。

 

日本人「らしい・ならでは」の思想は、古代から2000年にわたり、主として三教(神道、仏教、儒教)とそれらをメタ統合(習合)した宗教性、倫理道徳性、そして世界観の総称である。

(日本経営哲学史 第1章 冒頭より引用)

 

私も含めて日本人は「無宗教」と自覚している人が少なくありません。

 

でも、正月は初詣にいったりお年玉あげたり、盆には墓参りをし、葬式ではそれぞれの儀式があり、宗教的な要素を抵抗なく取り入れています。

 

それに、困ったときには「神様お守りください」と唱えると思えば、亡くなった方を前にして手を合わせて「なんまいだー」と念仏を唱えたり。

 

大人の言うことを聞いて、勤勉であったり、一生懸命働くことが素敵だというような感覚が染み付いています。

 

そんな感覚はどこから来ているんだろうと漠然と不思議でした。

 

 

 

世の中、社会の儀式や風習については大人から教わってきたことが多いかもしれません。

 

でも自然に対する慈しみのような思いは教わったわけでもなく、なんとなくそういうものだ、と物心ついたときにはそういう感覚になっていたわけで。。。

 

海外では、正邪の区別は宗教に基づいて判断することが多いようです。

 

だからはっきりした宗教がないように見える日本人が何を基準に正邪の判断をしているのか海外の人には不思議でならない、とか。

 

だから新渡戸稲造は「武士道」という本で日本人の底辺に流れている思想をまとめて英語で海外に発表したんですね。

 

 

 

MBAの大学院でクラスの課題図書で、陽明学、武士道、代表的日本人といった書籍を課題図書として読んだのですが、なぜそれらが課題図書になっていたのか、正直ピンときていなかったんです。

 

でもこの本を読んだおかげで、これらの書物を「読む意味」が遅まきながらやっとわかりました(^^)

 

 

 

著者は本書の中で、1990年以降の日本の長期低迷は「モノ作り」から「コト作り」への転換ができなかったことに大きな要因がある、と指摘しています。

 

「モノ作り」の成功体験を見てきた人たちが経営側にたち、そこから脱却しないで、短期的な利益追求をすることでその場しのぎをしてきたツケだと。

 

これは私が前職で勤めていたときに感じていたことでもあります。

 

それまで長い期間研究活動をする研究所がどんどん縮小され、最後には廃止されてしまい、事業部評価はEVAという短期投資回収効率を指針とされ、長期的な展望の活動が実質できなくなってしまってから、会社の状態が悪くなっていった気がしてたのです。

 

なぜ「モノ作り」から「コト作り」への転換が遅れたのか・・・

 

それを考察するためのヒントがこの日本人の思想にあるかもしれません。

 

 

 

ボリュームが大きかったので速読してしまいましたが、じっくり読むとまた新たな発見があるかもしれません。

 

オススメの一冊です。

 

日本経営哲学史 (ちくま新書)