最近読書のペースが若干落ちている気が・・・
今回読んだ本は「愛するということ」。
先日仙台で旧職場の同窓会にて、元上司が「一度読んでみるといい」と勧めてもらった本です。
元上司に今の仕事に対する姿勢を話したとき、「この本にかかれていることに通じるものがある」といってくださったのです。
なかなか昭和の日本人が「愛する」という言葉を口にするのが多少なりとも抵抗のある世代(^^)
私もそんな一人です。
この本は旧訳が1959年に発刊されたという、超ロングセラー。
冒頭の「はじめに」で一発ガツンと先制パンチを喰らいます。
愛するという技術についての安易な教えを期待してこの本を読む人は、きっと失望するに違いない。(中略)愛というものは、その人の成熟の度合いに関係なく誰もが簡単に浸れるような感情ではない、ということである。
(本書「はじめに」より引用)
「愛する技術」?
ここからしてすでにこれまでの自分の感覚から逸脱しました(^^)
そして「愛とは」に対しては
特定の人間にたいする関係ではない。(中略)世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである。
(本書第2章3愛の対象 より引用)
と定義しています。
どうも私が思っていた「愛」とは全然違うようです。。。
どんな本だろうとこのまま読み続けていくと、これまでのことがぐるぐると思い出されてきました。
そしてなぜ今自分がここにこうしているのかが、わかってきた気がします。
自分が学生だったころ、社会人になったころ、結婚をしたころ、別居したころ、仕事に明け暮れていた頃、離婚裁判が泥沼化していたころ、東日本大震災に被災した頃、退職を決めた頃、大学院に通っていた頃、起業した頃、そして今・・・
それぞれのステージで自分の「愛する」という行為がどれほど稚拙だったのかを、がつ〜ん、とハンマーでなぐられたような衝撃でした。
それどころが「愛されること」ばかり求めていた自分。
本人に自覚がなかったのはさらに恥ずかしい限りで・・・
この本を過去の自分が読んだら受け入れられただろうか、とさえ思ってしまいます。
いや〜、多分理解できなかったろうなぁ。。。
自分の中で変化が起きてきたのは、両親のこれからのことを考えるようになった退職前の時期と、ハウスメイトに何ができるかということを考えるようになった、すなわちシェアハウス運営を始めてからのような気がします。
相手にとって何が喜ばれることなんだろう、ということを純粋に考えられる相手の存在をやっと自分の中で受け入れられるようになった、ということかもしれません。
なんと成長不良な・・・
今更そういうことに気づくとは・・・
これはこれで自分なので現実として受け入れるところから、です。
「愛する」技術は教わって身につくものではない、といっています。
確かにそんな気がします。
自分で体験し、気が付いていくものなんだろうと思います。
その過程として「自分を愛すること」と「人を信じること」という要素は欠かせないようです。
昨日のブログで「信じる」ということを書かせていただきました。
この本でも取り上げられていて、何か共感する感覚を覚えました。
この本が正しいとか違うというか話ではなく、この本を読んだことで自分がいかに勘違いをしていたか、自覚がなかったか、を思い知らされてくれました。
シェアハウスでは、今はわからなくても後々になって「あのときのことが今役に立った」と思えるのならそれでいい、という気持ちでサービスを提供することを心がけています。
そんな生き方がこれから「愛する」という技術を育んでいくことに繋がるなかなぁ(^^)
「生き様」ということを意識させてくれた本でした。