48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

野球部OB会

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年に一度開催される母校野球部のOB会。

 

当初は昼間にOB戦をやってから懇親会の予定でしたが、この日は残念ながら雨でOB戦は中止。

 

解体及びリフォームが予定されている食堂で懇親会が開催されました。

 

野球部でも私は軟式野球部に所属していましたので、甲子園で開催される大会にはでれません。

 

この軟式野球部は昭和27年卒業のIさんが現役時代に中心となって創設され、OB会はこのIさんが会長となって設立され、以降OBの親睦の場であり、そして現役生の支援をするサポーターとして活動してきました。

 

私は昭和60年卒業なので、Iさんは私より33年先輩。父より年上ですね(^^)

 

今年卒業したOBは平成31年卒業なので、私より34年下。

 

すなわちちょうど私の世代がOB世代のど真ん中になります(^^)

 

 

 

Iさんは毎年OB会に顔をだして我々の世代にも声をかけてくださっておりましたが、ここ2〜3年体調を崩されて欠席をされていました。

 

すると懇親会冒頭で現会長から「先週お亡くなりになった」と発表が。。。

 

しかもこのOB会当日がお通夜になったとのこと。

 

聞けば2〜3年前にご自宅でころんだことがきっかけで体調をくずされたとか。

 

数年前までカクシャクとされていたお姿が思い出されます。

 

 

 

現役のときはOBが監督をし、練習や合宿を仕切っていました。

 

監督をやっている代はよく練習や合宿にいき現役生をみっちりしごいていたわけです(^^)

 

当時はスポ根でしたから、まぁ理不尽なことが平気でやられていた時代でして(笑)

 

練習もきつく、特に合宿は毎回気持ちがブルーになっていたものです。

 

合宿は泊りがけでOBもたくさんきて、なかなかきつい毎日を送るので、最上級生のときは「OBが来にくいところで合宿をやろう」とわざわざ福島の山奥に場所を変えたこともあります(^^)

 

ところが、いざ自分がOBになって、そして監督になって現役生を指導する側(当時はまだ”指導”という概念でした。)になると、それまで鬼のような存在だったOBの人たちが、実に現役生のことを考えてくれているサポーターだった、ということを知るのです。

 

まず現場をよく知る監督が現状をOB会で報告します。

 

野球が上達する上で何が課題なのかを伝えてもらうのです。

 

道具が足りない、老朽化した、ノックを打つ人が少ない、基礎トレーニングに時間をとれない、などなど・・・

 

すると、では会費予算から道具を揃えるための予算を捻出しよう、とか、合宿で行けそうな人がいないか探してくれるとか、合宿にいくOBたちの負担を減らすために(その結果合宿に少しでも長く滞在してもらえる)援助金を交付するとか・・・

 

 

 

自分もそうでしたがOBになると現役生と仲良く、というわけにはなかなかいきません。

 

今でこそ青山学院の原監督のような指導法というのがメジャーになっていますが、プレーヤー自体もある意味気持ちがまだまだ発展している途中にある人がほとんどで、そういう中ではある程度の緊張感をもった関係が必要だったりしました。

 

立場変われば見える世界が変わる、会社に入る前に最初にそれを感じた世界がこのOB会だったかもしれません。

 

 

 

私が監督だったときのある現役生が今回初めてOB会に参加してくれました。

 

数ヶ月前にたまたまFacebookでつながったこともあり、今回会えることをお互い楽しみにしていました。

 

再会は嬉しいものですね。

 

懇親会のあと二次会でそれこそ若手(私より15年以上も若いので・・・)と一緒に話をすると、彼らの時代でもまだ水を飲んじゃいけないと言われていた、とか、理不尽なこんなOBがいたとか、私の時代と変わらない悪しき慣習がまだ残っていたことを知り驚きました(笑)

 

 

 

家庭を持った人、起業した人、企業で活躍している人、趣味に興じている人、お孫さんと遊んでいる人・・・

 

野球でつながっていた人たちがそれぞれの世界にいるところ、また野球をきっかけに集まり不思議と信頼関係に包まれる空間がここにあります。

 

Iさんには、こうやって若い世代にいろいろなことが引き継がれていく場としてこのOB会が育っていることを喜んでもらえたら、と思います(^^)

 

合掌。