(NHKドキュメンタリーのホームページから引用)
最近なかなか録画したNHKスペシャルを観る時間がとれなかったのですが、先日の即位の礼があったばかり、ということもあり、「昭和天皇は何を語ったのか〜初公開・秘録 拝謁(はいえつ)記」を選んでみました。
初代宮内庁長官・田島道治の新資料「拝謁記」が公開されたそうです。
就任後1949年(昭和24年)から記録されていたのは、昭和天皇の言葉。
数百回天皇と謁見している田島道治が、昭和天皇が語った言葉を克明に記録していた第一級の資料だそうです。
このNHKスペシャルを見て恥ずかしながら初めて知ったことが。
まず、昭和天皇は敗戦の道義的責任を感じて退位も考えていたんですね。
しかも新聞でも天皇退位の可能性について連日記事がでていたくらい天皇の生前退位は可能性があったようです。
これは法的責任はないが、東京帝国大学の学長だった南原氏が「天皇には道義的責任がある」と主張。
これを機に天皇退位論がぐ〜っとでてきたようです。
日本統治の責任者であるマッカーサーは今後の統治に天皇の存在は不可欠と考え、日本復興にも天皇の存在を必要としていた吉田茂首相との思惑もあり、天皇退位論は下火になります。
天皇自身も本気で退位を考えていたようで、当時のまだ15歳くらいであった皇太子(後の平成天皇で上皇)に早く外遊をさせようとしていたらしいです。
平成天皇の生前退位についてはいろいろと物議を醸し出しましたが、60年以上も前にこの話がでていたんですね。。。
余談ですが、国会で天皇退位について若かりし頃の中曽根康弘元首相が吉田首相に質問をしていた映像があり、「この30年後にこの人首相になるんだなぁ」なんて感慨深くみちゃいました(^^)
初めて知ったことのもう一つは、昭和天皇は再軍備に賛同する姿勢をもっていた、ということです。
公職追放から解放された鳩山一郎など保守派は、憲法を改正して当時できたばかりの警察予備隊(現在の陸上自衛隊の前進)は「軍隊である」と明言し再軍備を主張します。
一方政権をもっていた吉田茂首相は、「今は軍備を整える時期ではない」として、再軍備に反対でした。
研究者は、昭和天皇は主権国家として軍備をもつべきと考えていたのではないかと分析しています。
ここでも田島道治が「象徴としての天皇」というスタンスに位置づけようとして、天皇が吉田茂に働きかけようとすることをとどめています。
「生前退位」「憲法改正」、まさにここ数年で大きく国内で物議を醸し出した案件が、1950年すぎに出ていたんですね。
番組は、サンフランシスコ講和条約が締結された後、独立記念式典の「おことば」の文言を決めていく過程を中心に構成されています。
昭和天皇は、敗戦をうけて「反省」を言いたいとかなり強い意向をもっていたようです。
しかし、朝鮮戦争による特需による経済成長が始まったところでもあり、前向きなメッセージにしたい、そしてなまじ反省の弁をいうことで沈静化した天皇退位論をぶり返したくないという政府の意向で、結局反省の文言はうやむやな表現に落ち着きます。
吉田首相、田島道治、昭和天皇の三者による文言調整はなかなか見応えあります。
本題とそれるのですが、吉田茂という人物はすごい人物なんだなぁと感じました。
国の行末を見る大局観、天皇と物怖じせず渡りあう肝っ玉、自信、頭脳。
この人が今の政治をみたらなんていうんだろうなぁ、なんて余計なことを考えてしまいました(^^)
この拝謁記、記録していた田島道治が晩年入退院を繰り返し始めたとき、死期を意識したのか、燃やしてしまおうとしたらしいです。
でも自分の子供に「悪いようにしないから」と説得して焼却を免れたというエピソードが紹介されていました。
それから、田島道治ってどっかで聞いた名前だなぁ、と思っていたら、私が勤めていた前職の元会長さんでした(^^)
ご成婚されたばかりの皇太子・妃殿下が工場にいらっしゃったことがあるのですが、その時に最初にお出迎えしたのは、この田島道治氏だったんですね。
この拝謁記の興味深いところは、昭和天皇がおそらく信頼している人にしか明かさなかったであろう、本音の部分が垣間見える点ではないでしょうか。
普段我々は到底目にすることも耳にすることもできない内容が公開されたことはとても貴重なことだと感じます。
このNHKスペシャルもなかなか興味深い内容でした。