48歳からの挑戦

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映画鑑賞〜2人のローマ教皇

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(画像:Netflix 2人のローマ教皇より引用)

題名に惹かれて鑑賞してみました。

 

最初のテロップにも出てきますが「実話に基づいたフィクション」という設定です。

 

登場人物はベネディクト16世とその後を継いだ現在のローマ教皇フランシスコという実在の2人が主人公です。

 

ヨハネ・パウロ二世が亡くなり、コンクラーベによって教皇に選出されたドイツ出身のベネディクト16世

 

保守派として運営をしていきますが、スキャンダルなどもあり、719年ぶりに自分の意志によって退位し、改革派であるアルゼンチン出身のフランシスコが次の教皇に選ばれるという流れの中で、2人の間の人間関係の変化と、2人のバックグラウンドにある人間模様を描いた作品です。

 

ベネディクト16世はあの、アンソニー・ホプキンスが演じています。

 

羊たちの沈黙」で見せたあの狂気の人とは打って変わって、厳格でジョークが苦手なドイツ人を見事に演じています。

(彼はイギリス出身)

 

実在の2人をモデルにしているので、フランシスコ演じたジョナサン・プライスも含め、実在の2人とよく似ています(^^)

 

 

 

英語の勉強のつもりで観たのですが、途中イタリア語、スペイン語、最後にはラテン語(しかもアンソニー・ホプキンスラテン語を話しています!)がでてくるので、英語のセリフは2/3くらいだった印象です。

 

ここでは、教皇であるベネディクト16世、そしてベネディクトの教皇就任によって辞職を考えていたけど、ベネディクト16世がなかなか承認してくれない、というフランシスコ(教皇になる前はホルヘまたはベルゴリオと呼ばれていた)それぞれが、それまでの人生の中で大きな罪意識を持っていて、常に葛藤しているところが、見どころの一つだと思います。

 

その中で私が気になったセリフが2つ。

 

1つ目はベネディクト16世がホルヘに語った「人間は誰でも慢心している」というもの。

 

普段「謙虚にいよう」とか、「人の話を聞こう」とか、「ちゃんとしていよう」なんてことを意識してはいても、どこかで「慢心している」自分にふと気がつくことがあります。

 

「慢心」とは「おごり高ぶること。また、その心。自慢する気持ち。」とあります。(goo国語辞典より引用)

 

他人より自分が何か優れているのではないかと思うことで「自分は大丈夫だ」なんて安心しようとしたり(マウンティング)、「自分はあんなことはしない」と対象相手を見下したりする気持ちって、ふと出てしまうことがあります。

 

それって生存競争の観点からすれば、もしかしたら必然の感覚なのかもしれません。

 

またアスリートは戦う相手より絶対自分が強い、と思うことでより力を発揮すると聞きます。

 

でも生存競争でも相手の実力を過小評価したら自分がやられますし、アスリートにしても、「相手が自分より弱い」ではなく「自分は相手を超えてやる」という視点の違いがあります。

 

慢心の怖いところは、「見下す」という上から目線。

 

この上から目線が、差別やハラスメント、そして自滅という悲劇を生む要因の一つになりうる姿勢かなぁ、とセリフを聞いた時感じました。

 

 

 

2つ目はホルヘのセリフで「まだ昔の私が中にいる」というもの。

 

英語ではThe man is still inside me. The doubt, it still exists.といっていました。

 

いろいろな経験を重ねて現在の心境や考え方に自分が変化したとしても、昔罪を犯した時の自分が抱いていた気持ちや感情は消えずに残っている、というもの。

 

ホルヘはアルゼンチンがクーデターで軍事独裁政権になった時に、イエズス会と軍政権との橋渡しを試みようとしますが、結果としてイエズス会の人たちを守れなかった、という罪意識をずっと抱えています。

 

私も多くの罪を犯してきたと思っていますし、一生背負っていくんだという罪意識もあります。(法に違反した刑事事件、ということではありません、念の為(^^))

 

そして今は違う自分がいると思いながらも似たような状況になった時に、ふと昔の自分が蘇って同じ過ちを犯したことも少なくありません。

 

「こんなはずじゃなかった」と後悔しても後の祭り。。。

 

変わったと思っても”変われていなかった”自分に気づき、自己嫌悪に陥ったものです。

 

”上辺だけ”変わったように見えていたんだ、と思うと自分にがっかりしてしまいます。

 

宗教というものは、人の心に入り込んでいく生業でもあり、自分の心をコントロールすることは必然の能力だと思います。

 

それだけに自分の心の弱さ、怖さ、未熟さと向かい合うことはとても勇気とパワーがいるのではないか、と勝手に想像してしまいました。

 

 

 

作品はホルヘすなわち現在のローマ教皇フランシスコはとてもいい印象で描かれているので、「プロパガンダか?」と訝しげに思う人もいなくはないでしょうし、可能性もゼロとはいえない(^^)

 

たとえそうであっても、観た本人がどう感じるかが大事なので、私にとってはそれはどうでもいいこと。

 

なので、たった2つの言葉でも何か感じることができたので、観てよかったと思いました。

 

 

 

それにしても、ふと思いましたが「赦す」ってすごい力ですね。

 

罪意識を何かしらもっているときに、信頼ある人から赦されると罪意識の苦痛から解放されます。

 

これについては別のコラムで書いてみたいと思います。

 

 

 

なお、アルゼンチンの歴史は第二次世界大戦後浮き沈みの激しいもので、南米最大の富裕国だったのが南米最大の債務国になったり、軍事クーデターがあったり、イギリスと戦争を起こしたり(フォークランド紛争)。。。

 

軍事クーデター後の数年は「汚い戦争」と呼ばれ、3万人ほどの活動家、学生、ジャーナリストなどが死亡または行方不明になっています。

 

フォークランド紛争が起きたのもこの軍事政権の時代。

 

Wikipediaでもいいので、この映画を見る前にちょっとアルゼンチンの当時のことを予習しておくのも悪くないかと思いました。