3月3日はひな祭り、「桃の節句」とも言われますね。
昔は妹がいたので、ひな祭りはそれなりの存在感がありましたが、妹が結婚して家をでて実家ではその存在感は薄れてきました。
子供の頃はひなあられが好きで、食べすぎてよく怒られました(笑)
ひな祭りの由来などについては、Wikipediaなどで詳しく記載されていますが、平安時代にはすでに存在していたらしく、かなり歴史がありそうです。
ちょっと気になったのは「節句」。
ちこちゃんじゃないけど、「なんで節句っていうの?」・・・
テレビだとここで白黒モードで静止画像になるんですが(^^;;
ネットはすごい(^^) 載っていました。
「節句」は元々は「節供」と書き、宮中で1年間の節目の日に天皇に供された食事を意味したそうです。
なるほど神道に基づいた行事だったんですね。
(だから”神社本庁”のページで解説されていたんだ(^^))
日本大百科全書の解説によると「節供は元来、年中行事の折々を示すことばであったから、各地に種々の節供の名称がある」そうで、た〜くさんあるらしい。
その中でも「縁起のよい奇数の重なる五節供」が重要視されて、江戸時代には式日(現在で言うところの祝日)となっていたようです。
五節供は「唐時代の中国の暦法で定められた季節の節目のことです。古代中国では、3月3日や5月5日のように奇数(陽)の重なる日は、めでたい反面、陰に転じやすいとされ、邪気を払う行事が行われていました」んだとか
(引用:五節供|暮らし歳時記)
人日(じんじつ)の節供 (七種の節供) ・・・ 一月七日
上巳(じょうし)の節供 (桃の節供、雛祭り)・ 三月三日
端午(たんご)の節供 (菖蒲の節供) ・・・ 五月五日
七夕(たなばた)の節供 (笹の節供) ・・・ 七月七日
重陽(ちょうよう)の節供 (菊の節供) ・・・ 九月九日
人日の節供は日本に伝わる前は一月一日だったそうですが、他のいろいろなもよおしがあって、七日にずれたんだとか。
日本には七日になってから入ってきたらしいです。
植物から生命力をもらって邪気を祓うため、それぞれの節供には植物が関わっているそうな。
ではでは、ひな祭りの上巳の節供はどんな日だったのか。
先述の神社本庁によると
3月初めの巳みの日を上巳といい、人の形に紙を切り抜いた”ひとがた”で体をなでて、けがれを落とし、海や川に流す祓はらえの行事でした。
ひとがたが次第に豪華になり、現在のひな人形となりました。
ということです。
(他の節供については引用したURLをご参照ください)
ゾロ目は1から9までの数字が対象で、十一月十一日はこの節供にはならなかったんですね。
ネットを覗きながらふっと思ったのは、節供って神道の流れをもっているようだけど、節供の考えは中国に起源をもち、それが輸入された思想の1つなんだなぁ、ということ。
神道は古代日本に起源をもち、教典や開祖がいるわけではない、という不思議な宗教ですが、こういった外来(当時はそうだったでしょう)の思想も取り入れる柔軟性があったということなのかなぁ。
日本の風習と外来の思想が合わさって日本の節供が生まれたんですね。
ちなみに制定された祝日は維新後一旦廃止となり、5月5日だけが祝日として後日制定されたんだとか。
桃のアレルギーがある私は、桃の節句には縁がなかったか・・・