先日SNSのタイムラインでふと目に止まった記事がありました。
古谷経衡(ふるや つねひら)氏の記事です。
記事の概要は
先日のナインティナインの岡村氏の発言について、藤田孝典氏が書いた記事は、FLASHの電子版を引用したいわゆる”二次情報”に基づいた記事であり、文筆家としてその姿勢に疑問をもつ。
というものです。
その件の藤田氏が投稿した記事はこちら。
ナインティナインの岡村氏の発言についてはすでにネットで周知されていますが、かなり非難されていますね。
なお古谷氏は、岡村氏の発言は自分自身で聞いて、「言語道断の事である。岡村氏の下品で人権意識に欠ける発言は全く擁護することはできない。」とバッサリ切り捨てています(^^)
そして、藤田氏の記事においても「藤田氏の批判はその方向性としては全く正しいと思う」とし「私は藤田氏の主張がおかしいと批判しているのではない」と断りをいれています。
古谷氏はこの記事で”ネット右翼”という言葉を使っていました。
勉強不足の私は恥ずかしながら初めて聞いた言葉です。
ネット右翼(ネットうよく)とは、インターネットの「ネット」と「右翼」を合わせた造語。 ネット上で右翼的な言動を展開する人々。
だそうで、ネトウヨとも言われるらしいです。
古谷氏は元来ネット右翼の姿勢には批判的な立場をとるとこの記事にも書いてあり、今回の藤田氏の投稿はまさにネット右翼的である、という見解も記載しています。
古谷氏が最も批判的なのは
「自分とは相いれない価値観を持つ個人や法人に対して、当該者が出演している他のメディアに対して圧力」をかけるという彼らの行為を、言論の委縮につながると再三批判してきた。つまるところそれは、「自分の気に食わない人間は、有形無形の圧力を以て屈服させて良い」という、法的根拠を無視した集団私刑/自警団的行為
というところ。
確かにchange.orgで岡村氏を「チコちゃんに叱られる」から降板させろ、という署名活動がネットでおきていました。
ず〜っと古谷氏の記事の引用ばかりでしたが、私も実は古谷氏に近い違和感をこの件ではちょっと感じています。
岡村氏の発言は私は直接聞いておりませんので、そのことについて云々は控えます。
ただ古谷氏のいう「自分とは相容れない価値観を持つ個人や法人への攻撃」というところにとても違和感を感じるんですね。
多様性(ダイバーシティー)と真逆なスタンスですから。
個人も法人もそれぞれ固有の歴史や背景をもって今があるわけで、一つとして同じものは存在しないと思っています。
価値観はそれぞれ異なります。
社会に属さないと生きていけないことを今回のコロナ騒ぎで身にしみた人も多いと思いますが、その社会でさえ、無数にあります。
自分とは違う価値観はあるだろうし、相容れない価値観もあるでしょう。
- ステーキや焼き肉が美味しいという人 vs ヒンズー教徒の人たち
- 晩酌欠かせない人たち vs イスラム教徒の人たち
- 朝型の人たち vs 夜型の人たち
- なんでも食べる人たち vs ビーガン
- 動物愛護派の人たち vs 動物嫌いに人たち
- 犬派 vs 猫派
- 年上を敬う人たち vs 世代に関わらずファーストネームで呼び合う人たち
- 男性が大黒柱の文化のある民族 vs 女性が大黒柱の文化のある民族
- お金が一番という人たち vs 家族が一番という人たち
などなどきりがない(^^)
相容れない価値観を持つ人を攻撃する人がいる限り、いじめはなくらないし、戦争もなくならない。
もしかしたら人類の定めなのかもしれません。。。
私も多様性といいながら、多様性を相手に求めること自体「多様性を認めない人を認めない」という、すでに多様性を否定しているようなもので自己矛盾に陥ります(^^)
難しいですね。。。
古谷氏の主張は記事の文末に以下のように記載されています。
私たちは他者を批判する自由を当然持っているが、あまりにも他罰的な批判は、結局のところ「ネット右翼的感性」に収れんされ、その「雑さ」「急進さ」ゆえに、批判の方向性の正しさにも疑問符が付きかねない、という事態になりかねないのである。
報道や情報発信に関わる方々に感じてもらいたいなぁ。。。