48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

読書会〜「洞窟おじさん」

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洞窟オジさん

 

今回の読書会の課題図書は「洞窟おじさん」

 

中学生の時に両親からの虐待から逃げるように家出をし、足尾銅山で洞穴を住居として文字通りの自給自足の生活を送り始めた著者の自伝です。

 

帯にあるようにリリー・フランキーさんが著者を演じてドラマ化もされたようです。

 

 

 

”自伝”と書いたように、いわゆる実在の人物が自分の人生をかたったドキュメンタリーなので、我々の日常とはかけ離れた生き方を知るだけでも楽しめる内容かと思います。

 

概要をAmazonで掲載されている「BOOKデータベース」の記述から引用します。

 

昭和35年、当時13歳だった少年は両親からの虐待から逃れるため、愛犬シロを連れて足尾銅山の洞窟に家出。人を避け、ヘビやネズミ、イノシシなどを食べて生きることを選んだ…。’04年5月に刊行され、話題を呼んだ『洞窟オジさん 荒野の43年』。あれから11年が経ち、社会復帰を果たした加村さんは群馬県障がい者支援施設に住み込みで働いていた。彼はなぜ、そこで生きることを決めたのか。「自分のため」ではなく、「他人のため」に生きる喜びを知るまでの55年の軌跡を綴る。

 

この本は、その稀有な生き方そのものにフォーカスがあたりがちですが、他にも著者の気持ちの変化や、そのサバイバルなスタイルから、人生の送り方そのものを考えるきっかけにもなり得るかなぁ、と感じました。

 

著者は、家族や学校の友人らを捨てて山にこもったのですが、後からついてきた飼い犬シロが死んで以来、「自分から誰かが去っていくことの寂しさ」を忘れられない、と言っています。

 

これはその後の著者の判断基準に大きな影響を与えているように本からは見受けられました。

 

相手からいなくなられるのが辛いから自分からいなくなる、という具合に。

 

俗っぽい言い方をすれば、「フラレるのがいやだからこちらからフル」みたいな感じでしょうか。

 

他人に自分の信念を曲げられたくない、という感情なのかなぁ。

 

家出した直後は人と接することを拒んでいた著者は、当時はひもじくても幸せだったような印象です。

 

ところがシロが死んでちょくちょくと人と接する機会が生じ、食べ物、お金、物品といった具体的な物だけでなく、優しさ、悲しみ、怒りといった感情も受けるようになります。

 

そういう過程を通じて著者は社会の中で生きることの良さと辛さを学んでいっているようにみえました。

 

途中で自殺を考えるほど著者は「なんのために生きているのか」と考え込む時期がありました。

 

自殺した遺体をみたことで、逆に彼は死ぬことの怖さを知って生きたいという気持ちを強く持ちます。

 

(自殺しようとする前にクマに追いかけられて死にそうな思いをしたんですけどね(笑))

 

彼にとって「生きる」ことの理由は純粋に「死ぬのが怖い」だから「生きたい」なのかもしれません。

 

「生きる」理由が「生きたいから」って、全然アリだと思います。(^^)

 

著者は今では「人と関わること」で得られる喜びを知り、生きていることの意味がさらに拡がったんではないだろうか、と感じます。

 

 

 

 

もう一つ、「生きるスタイル」。

 

これは今のスタイルが「当たり前」だと思っている人にとって感じてもらいたいところかも。

 

家があって、切るものがあって、食べるものがあって、仕事があって、移動手段があって、同僚や友人がいて、スマホがあって、Youtubeがあって・・・

 

今手元にあるものが当たり前過ぎて、存在自体に疑問を感じられない人にとって、この著者の生活スタイルは、ちょっといいベンチマークになるのではないかな。

 

今の日本に住んでいる人の多くは、おそらく生きる上で不必要なものが身の回りにたくさんあって、それらに対する依存度が恐ろしく高くなってはいないだろうか。。。

 

これ私が退職してシェアハウスに住んで、いろいろと生活要素をダウンサイジングしてきて気づいたことでもあります。

 

「あ、これって意外と不要だな」なんて気づくんですね。

 

このダウンサイジングの一番の良いところは「余裕がもてる」ことなんです。

 

かつて1人で暮らしていたとき、最低でも2LDKの広さを求めていました。

 

10畳以上あるゆったりしたリビングダイニングに、8畳くらいの書斎(仕事場)、そして6畳くらいの寝室。

 

いまから思えばなんつう贅沢な要求だろうと思っていましたが、実際そういう物件で生活をしているとそれより小さい物件に住めるとは思えなくなるんですね。

 

それが今や4畳半に満たない部屋で生活をしていて、しかもこの方が自分は快適だということに気づいてしまった(笑)

 

当然当時から比べたらかなり所有物は減りました。

 

今当時のものが手元にあったら、それらはすべて自分にとっては”贅沢”であって、その”贅沢”を楽しめるんです(^^)

 

これがいわゆる「余裕」というのが私の定義。

 

以前はた〜くさん余計なものに囲まれて、それがあたかも必需品のように感じていたんです。

 

これまで「当たり前」を「非日常の贅沢」にすることで、楽しみが一気に拡がった気分。

 

昨今のコロナウイルスによる規制や要請で、当たり前が当たり前でなくなったことがたくさんあります。

 

洞窟おじさんのライフスタイルは、そんな目線で新しい世界を見せてくれるかもしれません。