今回の課題図書は高橋源一郎氏による「一億三千万人のための『論語』教室」です。
論語に関する書はたくさんでてきます。
Amazonでも「論語」で検索すると2,000以上の表示がでるくらいですから、いかに日本人にとって論語がある意味身近な存在か、ということをうかがい知ることができます。
そんな”レッドオーシャン”(?)の論語の分野に挑んできた本書。
漢文で簡単には解釈できない論語を、現代の人にわかりやすいような表現で解釈をしたというのが本書のウリ。
著者の高橋源一郎氏は私も名前は知っているので著名な方ですが、正直どういう本を書かれているかは存じておりません。
なので先入観なしに本書に入ることはできました(^^)
全般的な感想を述べると 「解釈が難しい漢文で書かれている論語の内容を現代の人にわかりやすい表現で伝えてくれている」という良さがある一方、「現在の政治に対する個人的な批判や、あまりにも現代調な例えによる表現などもあって、ボリュームが大きくなりすぎ(530ページにもなる)、くどい」という残念な面も感じました。
著者は論語に出会って20年、孔子のファンとなっていろいろな解説本を読んで自分なりの解釈を重ねてきたそうです。
なので漢文の本文だけでは伺いしれない、背景などを盛り込んで突っ込んだ解釈に挑戦しているのはいいなぁと思いました(^^)
ただいかんせん、現政治体制への批判(出版は2019年なので今の安倍政権をさしていると思われます)がしつこいくらいに登場してくるのは、ちょっと閉口しました。
個人がどう思うと勝手だし、それを本として出版することも自由だと思います。
ただ本書の目的からかなり逸脱しているので、面白ければいいのですが、そうでなければただのノイズ。
ちょっと残念です(^^)
さてそういった要素を差し引いての本書ですが、私は途中で読むのを止めてしまいました(^^)
理由は
- 長いこと
- 内容が簡単に入ってこないこと
- ノイズが多くて食傷気味になってたこと
- あまり新鮮味を感じなかったこと
です。
一言で言えば、あまりおもしろくなかったのかもしれません。
あげた理由のうち最後の「あまり新鮮味を感じなかったこと」は、ある意味自分のなかで再発見でした。
というのも、かかれていることの多くは「そりゃそうだよね」とか「普段からそういう感じかな」とか「そうありたいよね」みたいな、「ふむふむ」という程度の印象なんです。
これってすなわち、自分の価値観や思考に孔子の論語すでに大きく影響していることの現れでもあります。
日本は集落ができて以来、村ごとに信仰があり自然災害が多かったためか、多神教的な思想をもっていたと思われます。
そこで日本を統一する動きが弥生時代後期から始まって、祈祷などを通じて神道が利用されるようになりました。
それが飛鳥時代に仏教が輸入されると、神道及び軍事を司る物部氏と、政治を司る蘇我氏との権力争いにおける蘇我氏の武器として利用され、蘇我氏の血筋である推古天皇、聖徳太子も加わり日本で主流となります。
論語すなわち儒教はこの仏教伝来より少し早く日本に伝わってきたようです。
そして飛鳥時代後半には儒教に熱心な天皇が現れたりしたことから、仏教の広まりと時を同じくして儒教も広まっていったと考えられます。
天皇中心とした政治体制を強化するとともに、天皇の格式を維持するために神道も存在し、日本特有の神仏混合の価値観が生まれ、そこに儒教思想も深く入り込んだのではないかなぁ、という見立てをしています。
日本で生活を営む人にとっては、いろいろな場面で論語に起因していると思われる価値観に遭遇します。
それが毎日積み重なって”日本的”な風土が育まれましたが、この”日本的”という風土がグローバル社会になってから、「世界に遅れをとっている要因の一つ」とされ忌み嫌う風潮がでてきているのも実態。
年上を敬おう→実力社会で年齢なんて関係ないでしょ、むしろ年上だからって偉そうなこと言わないでほしい
仁(相手の気持をうやまう)→この弱肉強食にあって忖度してらんないよ
義(利欲にとらわれない)→利益の追求こそ企業の目的でしょ。Greed is goodでしょ。
礼(マナーを守ろう)→ルールさえ守れば何やったっていいでしょ。
智(学び続ける)→あたまでっかちに何ができる?
信(約束を守る)→こっちにはこっちの都合があるんだからいちいち守ってられないよ
対比するとこんな感じでしょうか(^^)
好むと好まざるとにかかわらず、競争や争いに巻き込まれがちな社会の中で、生き抜いていくために、かまってられないという一面はあるでしょう。
でも、そういう人や場面をみて「美しくないな」と感じる自分がいるのもまた事実(^^)
気がつくと私のシェアハウスの運営は、かなりこの論語の考え方が反映しているような気がしています。
外国人相手でも、いや、外国人も相手にしているからこそ、かもしれません。
共同生活を送るために、これら仁義礼智信を発揮できると、利用者自身やより住心地のいい環境を育めると思うからです。
論語は日本に住んでいる人たちにとって身近にある概念の一つ。
それだけに、高橋源一郎氏の「現代の人にわかりやすい解釈」という試みは素敵だっただけに、解釈を超えた自己主張をしつこく語りかけてくる部分が多かったのは、私の好みとしてとても残念、というのが正直な感想でした(^^)