先週に続いて課題図書瀧本哲史氏の2冊め。
1冊目はロジカルシンキングに基づいた「決断思考」、今度は「交渉思考」です。
前回同様今回の本もとても良く書かれて、仕事をしていく上でも、研究活動をしていく上でもベースとして持っておきたい思考をまとめてくれています。
1冊目の本の内容はビジネススクールで「クリティカル・シンキング」として学びました。
この2冊めの本の内容は同じビジネススクールで「ファシリティ&ネゴシエーション」というクラスがあって、そこで学んだことで網羅されていました。
私はビジネススクールで触れたことで、無意識から意識の領域に入ることができて、自分で事業をするようになってやっと意識して実践できるようになってきた、そんな気がします。
本書は以下の章で構成されています。
- なぜいま「交渉」について学ぶ必要があるのか
- 大切なのは「ロマン」と「そろばん」
- 自分の立場でなく相手の「利害」に焦点をあてる
- 「バトナ」は最強の武器
- 「アンカリング」と「譲歩」を使いこなせ
- 非合理な人間とどう向き合うか
- 自分自身の宿題をやろう
中身についての解説は実際に本を読んで頂くのがいいと思うので割愛します。
著者は本書の最後に語っていますが、「交渉」も「決断」も行動の一つに過ぎず、何が武器かってそれは「言葉」だということ。
「言葉」が人を動かし、力を持ち、事をなしていく原動力となる、それが根底にあります。
私の母校では「ペンは剣よりも強し」が校章となっていますが、まさにそれなんです。
「交渉」というとトランプ大統領が大好き、とかいう話ではなく、社会の中で生きている限り、大なり小なり常に交渉の連続で生きていることを認識させられます。
上述のリスト1は、本書の「ガイダンス」いわゆるまえがき的な位置づけなのですが、40ページ以上も紙面を割いています。
リスト1では「交渉」は特別なことではなく、ごくごく生活の一部なんだということにまず気づかせてくれます。
リスト2から本題。
リスト2については自分で事業を営んでからやっと実感できた内容。
「ロマン」すなわちビジョンがなければ事業は始まらないし、「そろばん」すなわち会計管理ができなければ事業は継続できません。
どちらも不可欠で、「ロマン」と「そろばん」との会話によって行動が定まると言っても過言ではないですね。
私も常に「ロマン」と「そろばん」を行ったり来たりしています。
リスト3についてはサラリーマン時代である程度はできていたけど、シェアハウス運営を始めてからその視野はぐんと広まった気がします。
相手が何を期待しているのか、何を「利」としているのかを知ることで、それを満たしながら自分も満たされる方法を考える癖は、サラリーマン時代に事業企画の業務を担当してからついたと思います。
今はシェアハウスを利用してくれている人たちにその焦点を当てて運営スタイルを舵取りしています。
リスト4についてはまだまだですね。「バトナ」とはBest Alternative to a Negotiated Agreementの頭文字をとってBATNAです。
すなわち「相手の提案に合意する”以外”の選択肢の中で、自分にとって一番いい選択肢」のこと。
これを考えるようになったのは会社をやめようかと思い始めた時。
そこで自分が以下に会社に生活、行動、思考などが依存していたか気づくことになります。
すなわち会社からの提案に合意するしか自分に手段がなかったんですね。
この「バトナ」の本質は、「選択肢を持つこと」なんです。
だから自分が会社で働く以外に生きていく手段、という選択肢をもつということを行動に移したことが自分にとっては大きな変化であり、それが退社につながったわけです。
今や転職は当たり前になりつつあるので、今勤めている会社への依存ぶりは当時の私に比べたら遥かに小さくなっていると思います。
今まで当たり前と思っていた環境に対して一度疑問をぶつけてみることで、「バトナ」を作り出すチャンスが生まれることを体験しました。
リスト5はなかなか難しいですね。シェアハウスの家賃設定なんていうのはこれに近い面があります。
特に私が苦手なのがアンカリング。
全体を俯瞰する力が足りていないからかなぁ。。。
リスト6は年を重ねるごとに培われてきている面もあります(^^)
いわゆる年の功(笑)
そしてリスト7。
これこそ自分が起業してからやっと気づけたことです。
自分で「宿題」やってたつもりだったんだけど、誰かにやってもらっていたり、人のノートを写していたようなレベルだったんですね、今から思えば。
前にもブログに書きましたが「正解を探そう」という思考回路では「宿題」は進みません。
「正解」がないからなんですね(^^)
だから「正解を探す」ではなく「自分で創り出す」と行動指針を変えないことには「宿題」はできません。
このように本書に書かれていることを私は50歳前後になってやっと認識したり、自覚したり、行動できるようになったりしています。
著者はこれらを学生たちにむけて講義していたとのこと。
20歳前後で先週分も含めこの2冊の内容にふれることができるのは、とても幸せなことだと思います。
その時は理解できなくても、どこかで気づくきっかけを掴む可能性が高くなるからです。
そして若いときからここに書かれている内容は当たり前として思考、行動している人たちが少なからずいるわけで、それはそれで頼もしいことでもあります。
これほど明快に基礎を学ばせてくれる人が若くして早逝されたことは本当に残念です。