48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

一つの舞台

実家から歩いて2〜30分くらいのところ、日体荏原高校の直ぐ側に鰻屋さんがあります。

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「宮川」という店名。

 

うなぎの宮川といえば、つきじ宮川本廛とそののれん会が有名ですが、このお店が関連しているかどうかは不明(^^)

 

父がここの味を気に入っているので、年に2〜3度はお邪魔していました。

 

ここ2〜3年は両親がそこまで歩いて帰ってくるのも面倒になってきたのでもっぱら出前でお世話になっていました。

 

先月母と久しぶりに食べようかということになり電話してみたらお店を休んでいると女将さん。

 

以前店主のご主人が体調を崩してしばらく休んでいたことがあったので、そうなのかなぁ、と思いながら「いつごろから再開しますか?」と伺ったところ女将さんからは「う〜ん」とはっきりしない返事。

 

あまり追求するのもなんなので、そのときは電話を切って諦めました。

 

父と入れ替わりに母が北海道へ行き、父と食事していたときに「うなぎや、見つけに行かないとな」なんて言っていたので、

 

「そういえば宮川さん、まだやっていないの」

 

と訊くと

 

「(母が)電話してもでなくなったんだってさ。(母が)もう廃業しちゃったんじゃないかなと言ってたよ」

 

と父。

 

なんとなく気になったので、先日実家に戻った帰りにお店までちょっと足を伸ばしてみました。

 

するとこんな張り紙。

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あ〜、そういうことだったのか・・・

 

母が電話をして女将さんが返事を濁らせていたのは先月。

 

店主が亡くなる前後のタイミングだったんです。。。

 

両親よりは明らかにお若いお歳だったと思われます。

 

大変残念・・・

 

 

 

両親がこの地に越してきてから16年ほどになります。

 

いつだったかは定かではないですが、いつしからか両親と利用するようになり、うなぎ好きの父を筆頭にお世話になっていました。

 

「今日は贅沢な夕食だな」

 

といいながら10人と入らない小さな小上がりの座敷で両親と卓を囲んだのが懐かしい。

 

ビールを頼むとつまみに出る揚げた鰻の骨が出てきて、よもやま話をしていると、鰻の肝が2本。

 

母が嫌いなので(^^)父と2人で1本ずつ。

 

串を食べ終わる頃にうな重が肝吸いと一緒に運ばれてきます。

 

父はまあ、美味しそうに食べてました(^^)

 

母はいつも食べきれずに残すので、その残り物を私がいただくのが常。

 

いっぱいになったお腹を抱えて実家まで食後の運動兼ねて歩いて帰宅。

 

最近は出前になったとはいえ、お店は両親とのコミュニケーションの場の一つでもあったんです。

 

 

 

店主とは直接会話したことはほとんどなかったので個人的なつながりはありませんでした。

 

それでも馴染みだったお店の店主ということで寂しい思いは感じます。

 

お店に行ってた頃は、焼きは店主しかやっていなかったから後継者が見つかったのかどうかは定かではありません。

 

この後はどうなるかはわかりませんが、私にとって舞台の一つがたたまれた、そんな気持ちです。

 

合掌