今回の課題図書はこちら「一九八四年」。
読書会主催者による選書ですが、彼いわく「いわゆる教養に部類される」とのこと。
我々日本人が学生時代に触れた、夏目漱石、芥川龍之介、志賀直哉などの著作に相当するようなイメージらしい。
1984年といえば、私は高校生。
どうしてもヴァン・ヘイレンのアルバム1984を思い出してしまう(笑)
1984年とはどんな年だったか。
- 冬季サラエボオリンピック、夏季ロスアンゼルスオリンピック開催(サラエボはその後のユーゴスラビア解体後に内戦の舞台になってしまった)
- スペースシャトル打ち上げ成功
- アップルがマッキントッシュを発表
- イギリスと中国との間で1997年の香港返還が合意
私個人は高校3年生で受験頑張らなきゃいけないのに、「一浪くらいなんてことはない」と能天気に彼女とデートしていました(笑)
(もちろん受験失敗・・・)
そう、今の我々にとってははるか前の過去なのですが、この作品はイギリスの作家ジョージ・オーウェルが1949年に刊行したもの。
そう当時からすると35年後の未来なんです。
しかも1949年といえば第二次世界大戦が終了したばかりで、米ソ冷戦真っ只中。
敗戦国ドイツは分裂され東西ドイツが誕生。
翌年1950年には朝鮮戦争で朝鮮が南北に分裂します。
そんな時代でした。
この本を読み始めると、時代遅れのソ連、東ヨーロッパを風刺しているのか、と思わせるような描写です。
一党独裁、国民監視システム、配給制度、経済年度計画、秘密警察、自由の制限などなど。
有名な漫画ゴルゴ13は1966年頃からの連載で、東西冷戦を舞台にした内容がとても多く(いやほとんどかな)あるのですが、まさに本書に書かれていることに似たような情景が何度もゴルゴ13に描写されているんです。
なんという想像力なんだろうと感嘆します。
「社会主義」「共産主義」に対する批判と受け止められそうですが、それ自体ではなく、一部が倒錯した形で運用され「社会主義」「共産主義」をいう名を語っていることを批判している、と感じます。
すなわち、ある程度の制約をうけつつ個人間で社会資産を平等に公平に活用できる権利と実態を有する「社会主義」「共産主義」というものを利用し、それを統制する側に回って権力を掌握し、その権力の維持に重きをおくという行動に対しての批判、です。
正直、なかなか難解な小説です(^^;;
Wikipediaを見るとかなり書き込みがありますね。
この本に登場するBig brother(ビッグ・ブラザー)が「独裁者」を意味するのはこの本の影響だそうですね。
そしてモデルはヨセフ・スターリンだとか。
一歩間違えればこの本のような世の中になっていた恐れがあったと感じます。
特に旧ソ連、東ヨーロッパ諸国、北朝鮮といった「東」と言われてきた国々。
若かった頃にこれに近いことを経験していたのでしょうか。
先日NHKの番組で「生物の中で同種で殺し合うという行動をとるのは人類とチンパンジーくらい」といっていました。
(発情したオスクマがメスクマが育てている子供を殺したり、カマキリやコオロギのメスが交尾を終えた後オスを食べてしまう、というのはまた別の行動原理らしいです。確かに一方的だし、子孫を残すためという明確な目的が見えますしね)
権力を握ったらそれを維持しようとするのは人類の宿命なのでしょうか。
しかし、この本に書かれている世界が実際にあったとすると、経済が行き詰まって結局人口減少に向かっていく気がしてなりません。
管理社会は管理する側の器で決まってしまいます。
非管理社会ではそこにいる人達同士の化学反応で発展が期待できます。
すなわち発展の限界を作っちゃうか、取り外すか、極端に言うとそんな違い。
一方でなんでもかんでも好き勝手がいいかというと、複数の人達が関わっていくからには何かしらのルールは必要。
そして弱い人を支える仕組みがあることで、多様性が広がりより多くの人達が過ごせる社会になっていく。
やりすぎれば甘えに繋がり、やらなければ弱者が生きていけなくなる。
その塩梅が難しいところ。
個人のために社会があり、社会があるから個人でいられる。
個人と社会は持ちつ持たれつでどちらも「主」であったり、どちらも「従」だったりしうるもの。
一方だけの主義をふりかざすのは、いささか乱暴な気がします。
個人と社会のほどよりブレンド。
それはそれまでの歴史、文化、人種、気候、自然環境などによって様々だろうし、変化していくものかもしれません。
そのほどよいブレンダー、これが求められる為政者なのかもしれません。