以前にも読んだのですが、久しぶりにまた読みたくなって手にしました。
すっかり色焼けしてかすかに紙の匂いがする本書を手にしたら、あっという間に読んでしまいました。
だいぶぼやけていた話の展開がまたくっきりと蘇ってきて、懐かしい気持ちと新しい気付きがそれぞれ胸の内に湧き上がってきました。
かのジョン・F・ケネディが最も尊敬する日本人としてあげたのが上杉鷹山で、インタビューしていた日本人記者が誰もその名を知らなかったというエピソードは有名(^^)
破綻寸前の米沢藩に養子入りして、17歳という若さで藩主となった鷹山。
一般的には質素倹約を行って藩財政を回復させたという結果に注目がいっているようで、著者もあとがきで
バブル経済崩壊後、鷹山が一時ブームになった。リストラクチャリングの名手としてである。小説にはいろいろな読み方があるのでそれはかまわない。でもぼくは
「改革の手法だけでなく、なんのためのリストラか、という目的も読んでもらえるとありがたい。鷹山の改革は単なる赤字べらしでなく、愛民の思想にもとづく、やさしさと思いやりに満ちた地域づくりに目標をおいていたことを知ってほしい」とねがっていた。
と記載しているように、「手法」ではなく「目標」の置き方にこの人の価値があります。
私は、「目標」のおきかたもそうですが、目標に向かう歩み方にも共感をもちました。
いや自分は上杉鷹山の生き方に大きく影響をうけていたことに気づいたんです。
それが自分の起業という形で、奇しくも自分が実践を試みようとしているように。
鷹山の改革は私の事業に相当します。
鷹山の目標は「藩が潤う」ことではなく「民が潤う」ことであってその結果として「藩が潤う」としています。
私も「会社が儲かる」ことではなく「顧客に喜んでもらえる」ことを目標にしていて、その結果として「会社が儲かる」という意識でいます。
鷹山は人の声に耳をむけていました。私も姿勢だけはもっています(笑)
鷹山は「怒り」をできるだけ抑え込みました。怒ったらこれまでの苦労が泡となってしまうから、と。
これは近年私も同じ感覚を持つようになりました。
「怒り」は自分が勝手に作った期待値に相手が届かないから起こる感情であって、それは自分の期待値の設定の仕方に問題がある、というのが私の近年の考え方。
鷹山は藩主という立場におごらず、藩士、農民、商人などそれぞれの立場の人達を尊重していました。
相手には相手の良さがある、という見方は元々持ってはいましたが、近年は相手の弱点を気にしなくなって、より良さに着目しようという気持ちになってきた気がします。
これはシェアハウスを運営していろいろなハウスメイトたちと接してきたことが大きな影響を与えていると思います。
鷹山は上意下達によって一気に改革を進めようとはせず、炭火が炭に火をつけるように、人を通じて改革の心が広まることを願って行動していました。
シェアハウスを運営していると、まさに同じような気持ちになります。
ルールやマナーは上意下達で通達しても、結局は届きません。
なぜそうすることが自分にとって、みんなにとって良いことなのかをわかってもらえない限り浸透しないんですよね。
こっちはマナーと思っていてもハウスメイトは思っていないかもしれませんしね。
鷹山が改革をすすめるにあたって、武士として当たり前であったしきたりや行動、ルールをゼロから見直すところから始めています。
禄をもらうことは当然なのか?
実は農民に食べさせてもらっているんではないか?
武士も庭で木を植えればいい。
武士の家族は織物をするといい。
江戸時代の真っ只中にあってそういうことを考えられることは驚異的とも言えると思います。
時代は田沼意次が活躍していた1700年の後半から1800年にかけてです。
今でさえ、会社で要職につくとそのポジションにすっかりあぐらをかいて偉そうにしている人や、金を払っているから自分は客だぞみたいな態度を取る人は少なくない気がします。
謙虚、なんですよね。
本書は「小説」なので脚色は当然入っていて事実と異なるところは多々あると思われます。
水戸黄門のような勧善懲悪っぽいところもあり、ハッピーエンド的な終わり方をしているので読みやすいのではないかと。
ひとそれぞれ好みがあるかと思いますが、私はかなりこの小説に影響をうけていることを改めて感じました。
それが今回の大きな気付きだった気がします(^^)