48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

読書会〜「反省記」

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今回の読書会の課題図書は「反省記」。

 

マイクロソフトビル・ゲイツと一緒に立ち上げたといってもいい、日本のコンピューター黎明期を支えた一人西和彦氏の著作です。

 

私がコンピューターと出会ったのは中学2年のころ、クラスメートの家に遊びに行ったときに、「ゲームを作ってみたんだけど一緒に遊ばない?」と見せてくれたのがMZ-80というシャープのコンピューターでした。

 

カセットテープが記録媒体で、作ったプログラムをカセットテープに録音して読み込ませることでプログラムを本体に流す仕組みでした。

 

不思議なものがあるなぁ〜なんて思っていたのですが、この本を読むと彼はその当時、すでにマイクロソフトの技術担当副社長というポジションにいて、ビル・ゲイツポール・アレンと一緒に仕事していたんですね。

 

は〜、驚いた(^^)

 

西氏はコンピューターが好きで、やりたいことをやるんだという意思の強さと抜群の行動力 をもった人であることが伺えます。

 

一方であまりにも自分のやり方を押し通すので、仲間や周囲と軋轢を生み、それが彼にとって都度都度障壁となり苦労をされたようです。

 

本のタイトルは「反省記」とありますが、半分まで読んでも全然反省は感じられません(笑)

 

むしろ自分のやってきたことや主張が全面に出ているので、反省記というよりは「回顧録」じゃないかと思うくらい。

 

最後の最後まで回顧録調が続きますが、最後に反省がでてきます。

 

その反省に割かれたページは少ないのですが、実はかなりここに凝縮されていて、その凝縮度合いがわかるには、それまでの回顧録が必要だったのかもしれない、とさえ感じました。

 

 

 

私がかなわないな〜、と感じたことがいくつか。

 

一つは、コンピューターがとてつもない可能性を秘めていることを見抜いた慧眼。

 

二つ目は、大学生でいながら事業に向かわせたエネルギー。

 

三つ目は、大学生になった時点ですでにビル・ゲイツと直接話しができた英語力。(笑)

 

 

 

私が中学2年生のときに初めてMZ-80を見たときは、なんか不思議なおもちゃだなぁ、程度にしか感じられなかったんですね(笑)

 

あの当時このMZ-80に夢中になってコンピューター部を作った数名の同級生は、その後コンピューターの世界の先頭を走っていました。

 

私は当時は野球とギターにあけくれて、全然でしたね(^^)

 

また西氏は早稲田大学に通い始めたときに図書館でElectronics誌を読んでビル・ゲイツにコンタクトします。

 

大学時代に英語の雑誌を読もうという気もなかったし、ましてやそっから事業をしようなんて、バブルで遊びまくっていた私には到底及びもつかなかった行動と発想。

 

自分のすさんだ大学生活を恨めしく思います(^^)

 

そして私は英語が大の苦手だったから、高額の料金を払ってまで国際電話してビジネスの交渉をするなんて、微塵にも思わなかったです。

 

なにもかもがでっかいスケールを持った人だったことが伺えます。

 

 

 

西氏にとってビル・ゲイツ大川功氏は彼の人生にとって最も大きな分岐点に存在していた人物であったこともこの本から伺えます。

 

壮大なスケールのしくじり先生

 

それが私の印象です(^^)