今回の課題図書はこちら糸井重里氏著書の「インターネット的」。
まえがきにもありますが、元々2001年に新書として出版されたものを2014年に「続・インターネット的」という章を追加して文庫本版として出版されたものです。
2001年といえば、9.11のアメリカ同時多発テロが起きた年です。
デジタルの世界では、Windowsは98が主流で、サーバーにはWindowsNTが使われていた頃で、楽天が2000年にジャスダックに上場しECがさかんになっていました。
携帯電話は今で言うガラケーでimodeによる通信が広がってきた頃ですね。
それに携帯にカメラがついて携帯で写真を撮って携帯メールに添付する、いわゆる写メが出回り始めた頃でもあります。
約20年前ではありますが、今と隔世の感がありますね(^^)
そしてこの本、本書にも触れていますが「今の時代を予言しているんじゃないか」と評判になっているらしい。
確かにこの本を読むと最近ブログやコラムで紹介したのかな、と思うくらい違和感なく読むことができます。
糸井氏の慧眼ぶりは本書を読むと、敬意を評さずにはいられません。
そこもいいのですが、私は個人的に糸井氏の感性に共感というか、「あ、同じような感覚を持ってる」とちょっと励みになった視点がいくつかありました。
「勢い」=価値、でいいの?
勢いある人が「すごい」と言われ、勢いがなくなると「終わったな」と言われるのってどうよ、ってことです。
芸能人でもビジネスでも、もてはやされているときは「この人はすごい!」って、さもこの人は「すごい価値がある」と持ち上げられますが、いざ売れなくなってくると、その人の価値は下落したと言わんばかりの扱いになります。
実力以下で評価されている人や資産がいろいろあるだろう、と。
メディアが「勢い」に便乗して、その時々の事件や現象を消費していく。
あ〜、まさに感じている違和感はこういうところなんです。
正直は最大の戦略である
社会心理学者の山岸俊男氏の実験で「相手をだましたり裏切ったりするプレーヤーよりも正直なプレーヤーの方が大きな収穫をえる」という結論がでたという話をきいて、とても救われた思いをした、と糸井氏が述べています。
そう、サービスを提供して対価をいただいて事業としている立場からすると、まさにこの感覚なんです。
奇をてらって美辞麗句並べて契約が成立したとしても、提供するサービスの中身が伴わければ顧客はがっかりするし、顧客は離れていくでしょう。
だから、正直に自分のサービス内容を披露して、それに満足してくれる人が顧客になるわけで、満足しない人は顧客にはなりえないんです。
だから私が運営しているシェアハウスでは契約で下手に縛り付けて無理やり住まわせることはしません。
満足できなければ退去するという選択肢は顧客が持っているもので、それを認めることでフェアな関係で契約が成立できると思っているからです。
こうすることで、自分の実力にあった結果がでてくるので、その結果への対処もより現実的なものになっていきます。
どう書くかよりどんなものを書くか
きれいな文体やカッコつけた表現で彩られた文章より、文章の中にある中身に読み手は反応するし、感動を覚えるもの、と糸井氏は述べています。
先程のこととかぶるのですが、私が運営しているシェアハウスに入居してもらうにしても、サイトでいいことばかり並べて紹介しても、実際に住んでみたら本当のことはわかるわけです。
そこに中身がなければ顧客はがっかりして、契約は続かないでしょう。
装飾を伴う余計な営業活動やマーケティング戦略みたいなものを嫌うのはそういうところからもきています。
どっちでもOKじゃないの?
判断の分岐点にきて、どっちがいいだろうと悩むことは日常のことです。
ここ数年感じたことですが、結局はどちらかを選択すると、もう一方は選択することができないわけで、その結果なんていうものはわからないんですよね。
ということは「選択した結果」と「選択しなかった結果」は比較することができない、ということなんです。
比較することができなければ 、良し悪しの判断はできません。
ということは、どっちを選択してもそれがその人の人生であって、それを良しとするしかないんじゃないかな、って。
そこでの判断材料は、過去の経験からくる知見と現在の状況という情報しかないわけです。
未来についてはNobody knows. 誰もわかりません。
明日になればもっと経験や情報がプラスされるから、もっと広く考察できるでしょうけど、判断するのは今日なので、今日の自分がベストなんです。
ベスト以上のものはないから、そこは割り切るしか無いんですよね。
こう考えるようになってから「悩む」ということがかなり減りました。
ほんの一部ですが、糸井氏の感性に共感するところが多かったこと、これが一番の驚きだったかもしれません(^^)