(画像:NHKホームページより引用)
今回は昨年末放映された第18集「ナチス 狂気の集団」。
ヒトラー率いるナチス党がまさのタイトル通り「狂気の集団」として台頭し活動していくという経緯を、数名のキーパーソンに焦点をあてながら当時の映像交えて紹介しています。
焦点があたった人物は
といったメンバー。
簡単にどんな人物だったかを記しておきます。
- ゲーリング:金持ちの家に生まれ第一次世界大戦の空軍の国民的ヒーロー。ヒトラーの後継者として国家元帥に指名されるもののロシア戦線での敗北を機にヒトラーの信用を失い、敗戦後連合国につかまった後はヒトラーを批判して保身を図るものの死刑直前に服毒自殺。
- ヘス:大学で地政学を学んだインテリ。ヒトラーがクーデター失敗で刑務所に入ってた時に知り合い、ヒトラーに陶酔し有名な「わが闘争」の原稿を作成する。独断でイギリスに単独で和平交渉にいくもチャーチルに相手にされず投獄され、終身刑だったが獄中で93歳のときに自殺。
- ゲッペルス:ヒトラーのプロバガンダ政策をにない、ナチ思想の刷り込みを進めた中心的人物。ヒトラーが参考にしたというくらい演説が超絶にうまい。ヒトラーからの信頼は絶大で、ヒトラーと一緒でないと生きる意味がない、としてヒトラー自殺後に家族を殺して自分も自殺。
- レーム:ナチ党創設当時からヒトラーの相方で、ヒトラーに「おい」とタメ口がきける唯一の人物だったらしいが、自分が率いる突撃隊を軍として中心的に扱うようヒトラーに圧力をかけたことで、逆に粛清にあう。
- ヒムラー:突撃隊に変わってヒトラーの軍事力となった親衛隊の隊長でナチ思想にあわないドイツ人(反ナチ、同性愛、共産主義者など)やユダヤ人の迫害を推し進めた中心人物。
- アイヒマン:アウシュヴィッツ強制収容所へのユダヤ人大量輸送に関わった一担当者だったが、終戦後逃亡し1960年アルゼンチンにてイスラエルの機関モサドに見つかり逮捕されたことで有名になる。捕まった当時、「なんでこんな普通の人があの悪魔だったのか」とモサドも驚愕したという。当時の裁判を傍聴したハンナ・アーレントが後に有名な論文「イエルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告」を発表する。
これらは映像の世紀プレミアムでも丁寧に触れているので、番組を見ていただければよりわかると思います。
ナチス党が台頭してきたのは当時の社会情勢が大きく影響していると言われており、この番組でもそれに触れています。
- 第一次大戦の敗北と多額の賠償金:アメリカのウィルソン大統領は「窮鼠猫を噛む」の論理でドイツを追い詰めすぎないよう主張したが、ドイツに脅威を感じていたイギリス・フランスが強行した。これがドイツ国民の生活を苦しめることになる。
- 共産党の台頭:貧しい労働者を救えと共産党が大きく力を延ばすが、ドイツ国内の資本家は共産党に与したくないし、現政権をも支持したくないというジレンマに陥る。
- 1929年の大恐慌:少し回復基調をみせていたドイツ経済だったがアメリカに端を発する大恐慌によって再びドイツ国内が困窮し、国民の不満が爆発寸前だった。
この時にヒトラーは「国家社会主義」を掲げて「強いドイツを取り戻そう」「ロシアの一部を勝ち取って生活を豊かにしよう(東方生存圏)」と国民に訴え始めます。
ミュンヘン一揆をおこすも失敗し投獄されますが、この行動が「ドイツをなんとかしてくれるかもしれない」と多くの若者達の心を動かすことになります。
国民的ヒーローだったのに敗戦によってその職を終われ曲芸飛行士としてなんとか食いつないでいたゲーリング、大学の恩師の主張「ドイツには生存圏が不足している」に傾倒していたヘス、ドイツの将来を憂いていた哲学専攻のゲッペルスなどがナチに加わります。
有名な指揮者カラヤンもナチ党員でした。
そしてドイツの多くの資産家が「対共産党」ということでナチス党のスポンサーになっていきます。
この番組で印象深い視点は、「彼らは生まれ持ってのワルだったのか」というと「NO」なんですね。
ユダヤ人迫害の中心人物だったヒムラーは、子供の頃は虫一匹殺せないような性格で、学校卒業時は「常に品行方正で、性格は几帳面な勤勉さを持っていた」と記録されていたようです。
そしてそれぞれの分野である程度の能力をもっていて、ヒトラーという洗脳者にすっかり惹かれていく様子は、あのオウム真理教で麻原彰晃元死刑囚に多くの優秀な人材が惹かれていったことにかなりかぶる印象です。
そして国が弱っている時に「強い自国を取り戻そう」「自国民(自国民族)はすごいんだ」というアジテーションはまさにトランプ元大統領の手法と同じ。
90年前くらいのことが今も実は似たようなことが起こっています。
自分たちに誇りを思うことはいいのですが、それが他者に対する優位性や排除の主張根拠になったりすることに危機感を感じるし、社会情勢によっていつでも台頭してくる恐れがあるわけです。
歴史、記録というのは現代に語りかけてくれることがいろいろとあり、映像というのはその手段としてとても強力なものでありますね。