(画像:シカゴ7裁判公式ホームページより引用)
今回観た映画はこちら「シカゴ7裁判」。
1968年シカゴであった民主党全国大会が開催されていたときに発生した暴動事件で、7人の男が暴動を扇動したという共謀罪で法廷にたつことになり、その模様を映画化した作品です。
実際にあった事件をベースにしており、パラマウントで2020年に製作されたがコロナの影響で劇場公開ができなくなり、Netflixに売却された作品です。
私の個人的感想は
- ストーリー性:実在に基づいているので引き込まれます。
- 気分:場面が暴動、裁判で政治的きな臭さを感じさせるので、気分がいいというものではなく、サスペンス性が高い感じでしょうか。
- 役者:いい役者さんが揃っている印象です。私が知っている役者としては「スノーデン」で主役スノーデン役を努めたジョセフ・ゴードン=レヴィット、先日紹介した「ゾディアック」で推定犯人役だったジョン・キャロル・リンチが主に活躍しています。また「スポットライト 世紀のスクープ」や「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」で主役を努めたマイケル・キートンがほんのちょっとだけ出演。
- 英語難易度:裁判が舞台なので早いし専門用語が多いので、難易度は高い。
- 時間:2時間15分とまあまあ。
- また観たいか:何度も繰り返し観たい、という感じではないかな。
です。
あくまでも個人的な感想なのでご参考程度で(^^)
脚色のせいもあるでしょうが、この裁判にかなり意図的なバイアスを感じ、アメリカ合衆国における「権力」と「人種差別」という裏の顔を感じさせます。
「正義(Justice)」と簡単に言うけど、「誰にとって?」と聞き返さないといけない悲しさと難しさ。
「敵」が存在していれば、その敵が悪であり、敵に対抗するのが正義、という簡単な図式が成立していました。
30年前までなら米ソ冷戦時代、第二次世界大戦までならナチスドイツ、更に昔であれば異教徒だったり、異民族だったり。
ここ20年は、テロだったり、移民だったりが標的となっていますが、多様性がうたわれてきた現代で「仮想敵」をこしらえるのは容易ではないかもしれません。
「正義(Justice)」の定義が難しくなってきている世の中なのかも。。。
ひと1人殺めれば殺人罪ですが、1万人殺めれば英雄なのか、とかのチャップリンもいっていたように、すでに社会生活の中で矛盾をはらんでいるシステムの中で生きていかねればならない我々は、「正義(Justice)」をやみくも振りかざすことは危険でさえありそうです。
この映画で裁判官ホフマンの振る舞いに、視聴者の多くは何かしら違和感を感じることと思います。
映画でもでてきますが、実際にシカゴの法廷弁護士の78%がホフマンのこのジャッジを「不適格」と判定していたといいます。
脚色もあってわかりやすくバイアスがかかっているとは想像しますが、裁判官とは思えない不公平さを私でも感じるわけで、そこに当時のアメリカにあった根強い「正義」が垣間見れる気もします。
このブログでも以前三権分立について触れました。
三権分立を説いたとしても完全独立となると、1つの権力を止める手段がありません。
そのため、「国」という単位で三権の上に傘をかぶせ、国の任命というところでかろうじて権力の暴走を止める仕組みを持つことはやむをえないことなんでしょう。
したがって国の任命権はとても重要なのですが、これが国(直接的には行政)にとって「都合のいい」方向で利用されるとたちが悪い。
仕組みは人が作りますが、使うのも人。
使う人によって仕組みが機能するかどうか大きく別れるわけで、人類始まって以来の永遠の課題なのかも。。。