今回の課題図書は「スモール・イズ・ビューティフル」。
経済学の本です。
「科学・技術の力の発達に夢中になって、現代人は資源を使い捨て、自然を壊す生産体制と人間を不具にするような社会を作り上げてしまった」
(本書「結び」より引用)
これがまさに著者が本書をてがけた理由です。
最新の技術が人々を幸せにしているだろうか?
これまでの技術の発展は人々を幸せにしてきただろうか?
著者は文中で「現代技術が作り上げた現代世界は短い期間にいっせいに3つの危機に見舞われた」と言っています。
- 技術、組織、政治のあり方が人間性にもとり、耐え難く、人の心を蝕むものだとして抗議の声があがっている
- 人間の生命を支えている生物界という環境が痛めつけられ、一部に崩壊の兆しがでていること
- 世界の再生不能資源、特に化石燃料資源の浪費が極度に進み、あまり遠くない将来その供給が急減するか、枯渇する可能性がある
今で言う「心の病」「環境破壊」「資源枯渇」「経済格差」といった社会問題は、技術の無秩序な発展によってもたらされている、という指摘です。
たとえば、モバイルツール、インターネットが発達して、四六時中世界中とつながることができたことで、常に仕事に縛り付けられるようになった人は少なくないでしょう。
私もそうでした。
夜中も朝も、外出先でも休暇先でも、以前は避難地帯であった航空機内でも今やネットワークがつながってメール処理に追われる有様。
「できる環境があるんだから」、そんな圧力がものすごく大きい。
SNSの発達で時間をかけずに情報の伝達、入手ができるようになった反面、匿名性がたかくなったことで誹謗中傷が直接本人に届きやすくなったことで、心を痛める人たちも増えている気がします。
先進国が保有している最新の技術を開発途上国に押し込むことで、雇用は進まず、機器の販売、材料の販売、そして販路とほとんどが先進国に流れてしまって、ますます経済格差がひろがっていくという警鐘をならしています。
そして、開発途上国では最新技術は不要であって、先進国にとっては非効率であっても多くの人々が働けるような中間技術の必要性を説いています。
かいつまんだ概要なのですが、「多くの犠牲を払ってまで急いで発展するような生き方してていいのか」、そんな問いかけだと感じます。
驚いたのはこの本が1973年に発行された、ということ。
今から約50年前にこれほど透察していたのか、と思います。
著者はあくまでも経済学という視点で現代の問題に向き合っており、現代の経済学には「なんのために生きているんだ」という人生観が欠けているんじゃないの?そんな問いかけをしているように感じます。
確かに今の経済は、「経済力がある」=「パワー」となっていて、経済力があるものがパワーをもつ、お金を持っている人が強いんだ(昔なら偉いとでもいったでしょうか)みたいな風潮を感じます。
お金は欲望をくすぐります。
身近な例で言えば、コンビニやレストランで「俺は客だ!文句あんのか!」と威張り散らしている人たちがまさにそうです。
経済力をつけることと幸せになることは同義なのだろうか。
GDPが大きければ大きいほど幸せな国なのだろうか。
今の経済学の観点で言えば、企業の目的は「利益を最大化する」ことです。
利益を最大化するためには売上あげてコストをさげます。
コストがもっともかかるのは「人件費」。
技術の発展が省人化を進めコスト削減を実現し、資本のあるところに経済力が集中、そして彼らが地球の有限資源を独占して使用し、その廃棄処理を資本のないところに押し付けている。
まあ極端な言い方をすればそんなことがおこっていませんか、ということです。
サラリーマン時代に私が理解できなかったのは事業計画における「利益目標」でした。
なぜそこまでの利益をあげなければならないのか、明確にイメージができなかったのです。
根拠を感じない利益目標のために時間を費やしてきた日々。
なんのための利益目標なんだろう。
なんのための利益なんだろう。
もっといってしまえば、なんのための会社なんだろう。
取引先から利益を搾り取ってなんの存在なんだろう、なんて思ったことがちょくちょくありました。
この本には「人に優しい社会」を作っていくための礎となる考え方が凝縮されている、この本を読んだ私の印象です。
政治家、企業トップ・リーダーたちにぜひ読んで感じ取ってほしい1冊です。
最後急いで読んだのでほぼななめ読みになってしまい、この感想もまとまりがついていませんが、もう一度じっくり読んでみたいと思います。