今回の読書会の課題図書はこちら「椿井文書」。
勉強不足でまったくこの話は知らなかったのですが、副題にあるように「日本最大級の偽文書」なんだとか。
偽文書?
つまり「にせの」文章?
その通りで、歴史の史実といわれた出来事や言い伝えの根拠とされていた文章が実は「作り話」だったという例がたくさんあるそうで、中でも江戸時代に現在の京都府木津川市出身の椿井政隆(つばいまさたか)が依頼者の求めに応じで偽作した文章を総称して「椿井文章」といっているそうです。
この椿井政隆なる人物、実に緻密に調査をしてありそうな話をつくりあげていたらしく、現在の多くの歴史学者や研究者の中には、未だに偽物として扱わない人たちも少なくないんだとか。
それどころか公共の史跡説明において、どうどうとこの椿井文書がさも事実であるかのように扱っているところもあるという。
歴史は当時のことを記録した文章を頼りに史実かどうかを判定していると思われますが、その頼みの文章が偽物ときたら、これはたまらない。。。
私は以前から、「当時を今に伝える記録書は当時の為政者の意向に沿って都合よく作られている可能性があり、実際に事実かどうかははなはだ怪しい」と感じています。
でも、記録書にあることが事実かどうかなんて他にも独立した資料があればいいのですが、そんなに潤沢に残されているとは思えないので、事実判定はとてもむずかしい作業なんだろうとは思います。
子供の頃に習った歴史が最近になって見解が変わったという例はいくつかありますね。
聖徳太子、源頼朝、足利尊氏のそれぞれの肖像画は、どうも違う人物らしい、とか。
鎌倉幕府は1192年ではなく1185年に開かれた、とか。
さてこの本自体は読み物としてどうか、というところです。
椿井文書の存在を明らかにし、その内容を踏まえて歴史の見解を修正していくべきだという著者の思いが全体に現れています。
たくさんの事例を紹介し、なぜこれが偽物なのかという説明をたくさん盛り込んでいます。
なので歴史書そのものに興味がある人には楽しめる内容だと思います。
逆に歴史書に興味がない人にはちょっと退屈な内容かもしれません。
本書の後半は歴史書から離れて研究者の視線、偽文書への姿勢など著者の見解がかかれています。
世が世なら私が椿井政隆に頼んで、「私の祖先は清和源氏にしてくれないかな」なんていって偽の家系図を作らせていたりして(笑)
著者の見解のよると、椿井文書は一種の町おこしや神社仏閣などの権威付けみたいなことに利用されていたようですね。
なにが本当でなにが嘘で、というのはいつの時代でも変わらぬ問いかけなのかもしれません。