今回の読書会の課題図書は、元コピーライターの澤田智洋氏著作の「マイノリティデザイン」でした。
息子さんが目が見えないという障害を幼くして背負ってしまったことがきっかけとなり、「マイノリティ」に目をむけて、「ゆるスポーツ」を開発、その経緯と、フレームワークにまとめた澤田氏の考え方を紹介した本です。
澤田氏の着眼の大きなポイントは、障害や弱点は「劣っている」ではなく「主流でない、いわゆる、マイノリティ」である、というところにあります。
澤田氏もそうだったそうですが、スポーツが苦手な人は、速く走ったり、強く戦ったり、力強かったりすることを争うスポーツの中では確かに弱い。
でも、速く走ったり、強く戦ったり、力強かったりすることを争わないスポーツだったら・・・
ゆっくり動くこと、直接戦わないこと、力がなくてもできることを楽しめるスポーツだったら・・・
それがゆるスポーツが生まれる発想だった、と。
2014年ブラインドサッカー世界選手権のキャッチコピー「見えない。それだけ」を作ったのが著者澤田氏です。
すごくマイノリティデザインを思わさせられるコピー、だと感じます。
ある世界で、弱者となってしまう人達が活躍できる、楽しめる場を作りたい作ってしまえばいいという発送と行動力が、この人の凄いところで、そして学びがあります。
そういう意味ではマイノリティの世界はとても多様性があります。
速い、でかい、多い、これが高い価値というのが染み込んでいる価値観。
でも遅くていい、小さくていい、少なくていい、という見方をもつと一気に世界はひろがります。
そう、新しい世界が生まれるのが魅力です。
読書会で話がでたのが、「弱者が強者になる逆転現象」というのに違和感を感じる、ということ。
確かにこの本に寄せられたコメントでそんな表現がありました。
ただ私はこの表現は作者澤田氏の意図とはちょっとずれているんじゃないか、と感じます。
先日たまたまテレビで「五体不満足」の著者である乙武さんがインタビューされていたのを見たのですが、
「我々のような人たちは、何も自分たちに合わせろといっているわけではなく、なにか行動するときのスタートラインに立てるようなサポートをしていただきたい、という気持ちなんです」と言っていました。
そう、トランプの大富豪のように、同じカードを4枚だして革命、みたいなことを期待しているわけではなく、マイノリティの人たちの土俵の存在を作ることや認めることが求められているんじゃないかと感じています。
たとえばテニスのトッププレーヤーであるジョコビッチ選手が車椅子テニスに挑戦しますが車いすテニスプレーヤーにコテンパンにやられる、という動画があります(^^)
車椅子テニスは、これはこれで新しいスポーツであって、普段自力歩行ができる人だって参加してもいいと思うんです。
ラケットを操るだけでなく、車椅子をもコントロールしなくてはならないというさらに難しさが加わったすごいスポーツですよね。
こういう新しい世界をつくっていくって素敵じゃないか、というのが著者澤田氏の伝えたかったことではないか、というのが私の解釈です。
それにしても著者澤田氏はコピーライターのプロだなぁ、と感じるのは、本書のタイトルがどれもコピーのような表現で、的確なんですよね。
言葉のプロっていいなぁ(^^)