徒然(つれづれ)なるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆく由無し事を(よしなしごと)、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこと物狂ほしけれ。
徒然草の序段です。
島内裕子氏が校訂・訳をされたちくま学芸文庫の徒然草を、Kindleで買って時々目を通しています。
島内裕子氏は、先日NHKで放送していた「知恵泉」の兼好法師の回で、解説として出演されていて、わかりやすい説明をされていたことから、解説などを期待してこちらの本を選びました。
本書によると、この有名な冒頭の一文が「序段」として独立するようになったのは、江戸時代に出版された版本や注釈書においてだったとか。
「心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく」書くことは、例えば、恋愛とか、旅とか、戦争とか、滑稽譚とか、テーマを決めなくても、執筆できるという新しい文学宣言だった、というのが本書による解説です。
私はこの序段の文と、島内裕子氏の解説で、このブログを書き続けることをなんとく肯定してもらえたような、ちょっと大げさですが救われたような気持ちです。
どんなブログを書きたいか、は人それぞれで、人気ブロガーになって収益を上げたいという人もいれば、インフルエンサーとなって影響力のある人になりたいという人もいるだろうし、自分の記録としている人もいるだろうし、ただ書きたいという人もいるでしょう。
私は、「なにか自分の体験・知見がなにか役に立てられれば」という気持ちで書いています。
その結果、ブログの指南書でよく目にする「テーマを絞りましょう」という方向とは全く違って、テーマらしいテーマもなく、雑多なものになっています。
確かにブログを読まれる方は、なにかをそこに探しているんだろうから、「何を書いているのか」が明確であればわかりやすいかもしれません。
でも約700年くらい前に、「・・・書き留めてみることであって、・・・みずからの心の奥に蟠って(わだかまって)いた思いが、浮上してくる」(本書より引用)と、自分と向き合うために書くこともいいじゃないか、というスタンスを持っていた人がいたんですね。
そうか、自分と向き合う。
いくつか購読させていただいているブログでも、ご自身と向き合っていらっしゃるなと感じられるものも少なくなく、それらはとても素敵な文章だったりします。
言葉って、使い方を誤ると「言葉の暴力」といわれるように、人を傷つける武器にもなるくらい、強烈なエネルギーを持っています。
強烈なエネルギーだからこそ、言葉で元気になる人もたくさんいます。
子供の頃から国語や社会が苦手で、言葉のもつ力を感じながらも掴みきれずに生きてきたんだな、と赤面の至りです(^^;;
徒然草、これからじっくり読んでいこうと思います。
先日もここでお伝えしましたが、漫画版がよくできているので、文章が苦手な人はこちらを最初に手にとってもよいかと思います。
兼好法師は後醍醐天皇が大嫌いだったという解説があり、これが実に解釈に役に立ちます(^^)