父から「これ読んでみろよ」と言われて借りた本です。
NHKの「白熱教室」で有名なマイケル・サンデル著作の新著です。
これまで、「当たり前」と思っていた感じ方に「それでいいのかな?」と疑問符をつけてくれる本の1冊、というのが私の印象でした。
これまでの「当たり前」とはなにか。
実力主義。
すなわち実力のあるものが力をつけていく、という発想。
企業では「成果主義」として日本では20年くらい前から導入された評価方法にも影響を与えている考え方です。
乱暴に簡単な図式にすると、
- 実力のあるものが評価されるべきである。
- 実力は自分の努力によって備わるものである。
- 実力が得られないのは自分の努力が足りないからである。
- すなわち実力のある人は努力をした人で、実力のない人は努力が足りない人である。
とこんな感じである。
マイケル・サンデルは本当か?とこの本で問いかけています。
この図式が成立するのは、すべての人が同じスタートラインに立つという公平性があることが前提です。
100メートルを走るのに、全員が0メートルの地点からスタートできればそれは「公平な環境」といえるでしょう。
でも0メートルの地点からスタートする人と、90メートル地点からスタートする人が存在したら、それは公平ではありません。
90メートル地点からスタートした人が実力ある、といえるでしょうか。
マイケル・サンデルはこの本で、スタートラインの不公平さの一つとして「教育」をあげています。
すなわち「高等教育」を受けられるのは「金のある人」であるという不公平。
金がある→高等教育が受けられる→ランクの高い学歴を得られる→企業で高いポジションに付く→金が得られる→子孫が高等教育が受けられる・・・
簡単に言うとこういう図式が成立していて、このループが回り続けて経済格差が生まれ、ごく一部の人に資産が集中するという事態が生まれている、と指摘しています。
高等教育を受けられて企業で高いポジションについたのは、あなた一人の努力ですか?
それは高等教育を受けられる家庭にたまたまあなたが生まれたからではないですか?
それは「運」ではないでしょうか?
私はこれまで、
- 受験を頑張ったから大学に入れた
- 大学で頑張ったから好きな企業に就職できた
- 企業で頑張ったから評価されて昇進してきた
と何の疑いもなく思っていました。
でももし私が中学受験をするときに、イスラエルと戦争をしているアラブ地域で育っていたら同じように勉強がんばれただろうか。
大学にいっただろうか。
企業に就職できていたであろうか。
この本で著者のマイケル・サンデルは様々な視点から、私のようなものがごくごく当たり前に感じていたことに対してたくさんの質問をなげかけてきます。
私はかねてから「才能は存在する」と思っています。
トップアスリートは「自分は誰よりも練習している。だから世界のトップに立てたんだ」ということをよく言います。
確かにトップアスリートの練習量は半端ないです。
でもトップに立っている人よりも練習量が多いアスリートもたくさんいると思います。
練習量と世界ランクは比例していない。
先日このブログでNHKの「超人の人体」を観たことをご紹介しました。
ここで紹介した水泳バタフライの選手ケレブ・ドレセルは、最後の追い込みで全く呼吸をしない泳法を取得し、息継ぎによるタイムロスを減らして他を圧倒しています。
この秘密は首にある筋肉にあって、それが肺をより大きく広げる貢献をしていると学者はみています。
ドレセル選手は練習を通じてこの泳法を取得したのですが、コーチが興味深いことをいっていました。
「他の選手にこのトレーニングをするとつぶれてしまう。彼だけがこの泳法を取得できたんだ」
つまり誰でもできる練習方法ではないんです。
身体は外部からのストレスをうけて、それに対応できるように適応させていきます。
それは筋肉であり、神経であり、血管であり、内臓であり。
さらに小さくしていくと細胞であり、DNAであります。
ドレセル選手が持ち合わせたDNA、それがいわゆる「才能」の姿の一つだと思っています。
もちろん途方も無い努力があってこそその才能は開花されるもので、才能だけ、努力だけでなく、両方がそろってトップになれると思ってます。
それは「努力」だけではないということの裏返しでもあるんです。
そしてその「努力」でさえも、「努力できる環境」は周りのおかげで得られているわけです。
マラソン界では今はアフリカ勢が無類の強さを誇っています。
走っている姿をみると身体が違う、と感じます(^^)
でも昔からそうだったわけではありません。
過去のマラソンレースでは欧米の選手が強かった。
でもそれは、「いいトレーニングを受けられる環境があった」という要素はかなり大きい気がします。
50年前からアフリカの人たちに今のような環境があったら、当時からアフリカ勢が席巻していたんじゃないか、と。
このようにいろいろなケースが考えられます。
本書では、「能力主義という考え方はいいのか」「経済格差を問題視しなくていいのか」といった大きな問いかけをしてくれます。
答えを与えてくれるのではなく、考えるきっかけ、視点を与えてくれる本だというのが私の捉え方です。