今回の読書会の課題図書はこちら。
ここ数年、「10年に一度」「100年に一度」「観測史上最大」といった形容詞がついた豪雨のニュースを目に、耳にすることが多くなってきました。
現実日本だけでなく世界中で豪雨による水害のニュースがおきています。
そういう意味ではタイミング的に関心を寄せる人も多いかもしれません。
著者は神奈川県の鶴見川の近くで育ち1982年以前の5回もの大水害を経験されているそうです。
そんな地元鶴見川を題材に「流域」という考え方をもちいて水害対策を進め、1982年以降は大水害が起こらなくなった実績がある第一人者です。
日本は山国でもあり、河川も多く、昔から水害が絶えません。
大掛かりな治水事業としては、徳川家康が行った利根川の東遷が有名です。
栃木県の鬼怒川など多くの川が合流して、現在の隅田川に流れていた利根川を現在の利根川の流れに大きく変えてしまったんですね。
こちら参考資料です。
このように「治水」は、川の流れを変える、とか大掛かりな堤防を築く、といった人工的で、直接的な工事のイメージがありました。
この本ではそこからもっと拡げて「流域」という概念を用いて自然の力を活用しながら治水を進めていく活動を紹介しています。
「流域」とは川およびその周辺の土地を含んだ地域です。
我々がパッと思いつくのは、上流の山に木を植えて保水力を高めよう、というもの。
もちろんこれも流域思考の施策の1つです。
でもそれは上流でなら可能かもしれませんが下流の都市部では現実的ではありません。
流域ではすでにそれぞれの土地が活用されていて、水力発電所をつくるために村ごと水の底に沈めるような大掛かりな人の移動を強要することは現実に無理です。
雨が降って川に注がれ海に排水されるその過程は、集水、流水、保水、増水、遊水、氾濫、洪水といった言葉がキーワード。
日本には大水害を抑えるための法律が2つ。
河川法と下水道法。
川幅拡げたり、底に堆積した土砂を取り除いたり、ダム作ったり、下水道を配備したりといった直接的な活動はこれらの法律が機能します。
ところが都市開発が進む速度が早く、また豪雨の規模も大きくなり、この2つの法律だけではカバーしきれなくなっている、というのが著者の見解。
流域生態系をもっと活用していく必要がある、という提案です。
2019年の台風19号が関東で大水害をもたらしたのは記憶に新しいところです。
多摩川沿いにある実家のマンションのベランダから今にも溢れそうな多摩川を初めてみて「これはまじであふれるかも」と覚悟を決めていました。
この時やや上流の二子玉川、武蔵小杉のあたりで川の水が漏れ出し水害となったのですが、それがなかったら下流で氾濫していたのではないかと感じました。
流域思想はこのような「途中で逃がす」みたいなことも含んでいて、遊水池や田んぼといったインフラも活用しています。
ただこの本で紹介されている活動は一筋縄ではいかない、ともいっています。
「河川法、下水道法だけではカバーしきれないところを別の形で補う必要がある」と指摘しているように、こういった地域活動が不可欠のようです。
著者は40年前から鶴見川の治水に取り組んできましたが、長年かけて流域に広がる各自治体や地域住民の人たちと連携をしてきました。
その地道なれども継続的に活動されてきたことは、敬意を感じます。
実際にここ数年の豪雨でも大きな災害を出していないことはすばらしい実績です。
治水事業に対する見方をちょっと拡げてくれる、そんな本です。
余談ですが、一級河川は「国土交通省が管理している河川」のことで、規模の大小ではないということをやっと認識しました。お恥ずかしい・・・
それでも法律上で設定された河川と実際の姿とは必ずしも一致しないようです。
そんなこともこの本で紹介してくれています。