もともと神道の家庭に育ちながら、キリシタン大名の小説執筆の依頼を受けたことを機に、それまで触れたことのなかった聖書を研究しているうちにすっかりのめり込み、ついにはキリシタンとして洗礼をうけてしまったという著者による、聖書のエピソード集です。
世界一のベストセラーと呼ばれているのが聖書。
書かれていることが事実であると信じて疑わない信者の方には不謹慎な言い方もしれませんが、世界中の人が読んだ「物語」という点では、ハリーポッターの比ではないでしょうね。
日本なら多くの人が知っている日本昔話や、欧米でいうマザーグース、そしてグリム童話、アンデルセン物語、今で言うならディズニーと、馴染みの物語は人それぞれありますが、どれも聖書にはかないません。
その聖書の中で実在した人物にまつわる物語がたくさん含まれていて、その中から51個のどろどろした愛憎劇をピックアップしたものが本書だそうです。
聖書は旧約聖書と新約聖書があり、旧約聖書はユダヤ教の聖典となっていて、旧約聖書の内容を踏まえてイエス・キリストの教えをまとめたものが新約聖書、でしょうか。
先日ここでも紹介した「21 lessons」の著者ハラリ氏が、その著書「サピエンス全史」に書いてあったように、ホモ・サピエンスは宗教、社会といった”虚構”を発明したことで生命体の頂点に君臨することができた、と言われています。
虚構を通じて、別の個と個が協力をするということを覚えたからです。
宗教は大きな役割を担っていて、その中でも世界トップ3の信者をもつキリスト教はとてつもなく大きな勢力であり、聖書にかかれていることは信者たちにとって”共通”の認識であり、彼らにとって見れば”常識”になります。
でもそんな聖書でも、かなりドロドロしたゴシップのような内容もあるようです。
ゴシップ好きなところは世界共通(^^)
とても楽しく読めるよう、とても読みやすくまとめられている印象です。
高校生の時に担任の先生に「宗教を進行するかどうかに関係なく”聖書”は読みなさい」と言われたことを覚えています。
朱に交われば必要以上に赤く染まるタイプの私は、勧誘されればあっという間に信者になり、世が世なら○○真理教に入信して世間を騒がせてしまっていたかもしれない、というくらい自分に自信がないので、できるかぎり宗教というものからは遠ざかるようにしていたこと、加えて読書嫌いだったこともあり、担任の先生の教えを実行することなく今に至ってしまっています。
数年前、それではいけない、とまんがで読破シリーズで旧約聖書と新約聖書を買って、さらっとなめてみました。
ただ、ほとんど記憶というか意識に残らず・・・^^;;
さて、この本を読んで私が感じたのは、
- 聖書はとにかく神様が絶対で、神様はやたらと人を試してくる
- 一方で神様を試そうなんて考えることもしちゃいけない
- そして神様ややたらと嫉妬深い
- 昔の人は平気で女性をかどわす
ということ(^^)
今でいう強姦・レイプ、売春なんて当たり前みたいなことが平気で書かれています。
映画「スポットライト 世紀のスクープ」で、実際にあった聖職者による児童レイプ問題を教会が組織だって隠蔽していた、という事件が紹介されていましたが、聖書の登場人物たちのふるまいを観たら、特別なことではなかったのかと勘ぐるくらい。
聖書といえばとてもかたっ苦しい本というイメージをぶっ壊すには、この本はいい入門書かもしれません(^^)
以前は、宗教で語り告げられていることは荒唐無稽、と一刀両断するような意識をもっていましたが、ここ数年はちょっと感じ方が変わってきています。
一つはハラリ氏が語るところの”虚構”によって人類が成り立っていて、自分もその一人であり、無意識・意識的どちらにしろ、神を感じたり、仏を感じたり、気を感じたり、運命を感じたり、なにかにすがろうとしたり、という気持ちを持っていることを自覚できるようになったこと。
次に、未だにわからないことがたくさんあり、いやむしろわからないことのほうが多いことが容易にイメージでき、今この時点で証明できなくても、それを「だから真実ではない」ということは、これから明らかになるであろうという可能性を否定する傲慢な態度以外のなにものでもない、と感じるようになったこと。
その昔W大学のOという物理の教授がいて、UFOなどの不可解な現象を「そんなもの証明できないだろう」と一刀両断にしてマスコミに出まくっていましたが、こういう人は、ガリレオの前の時代に生まれたら「地球が太陽の周りをまわるなんて絶対にありえない。証明されてないだろう」と一刀両断していたに違いありません。
(余談ですが、このO教授は私の卒論の審議担当教授で、私の発表内容が専門外だったこともあり、発表している間ずっと寝ていました(笑))
古事記にかかれていることは、実は実際に起きたことを子孫に伝えるために物語化したものではないか、と考える人もいるらしいということをテレビ番組で聞いたことがあります。
天照大神は大陸からきた弥生人の象徴で、それまで日本にいた縄文人から弥生人に社会が移る過程ではないか、とか。
宗教で語られていることは、物語化しているものの当時の様子を語っている面もあり、歴史を知る材料としては大切な書物なのかもしれません。
まだ聖書をじっくり読もう、という気持ちの余裕をもててないですが、いずれじっくり読んでそこから歴史をさぐってみる、ということもやってみたいなと思います。