48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

東海道五十三次ウォーキング 神奈川宿〜保土ヶ谷宿

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神奈川宿に到着したのはもう夕方。

 

次は横浜を過ぎて保土ヶ谷宿へ向かいます。

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ルートはこちら。

 

国道からはずれて東海道線の北側を進むルートになります。

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この説明にあるように、今の横浜駅西口は明治の頃はまだ海の中だったらしい!

 

大道芸や飲み屋街で有名な横浜の野毛も、ここでは野毛”浦”とあるように、海だったんですね。

 

明治に鉄道が新橋ー横浜間で開業しましたが、当時の横浜駅は今の桜木町駅にあたるらしく、この弓なりの線路も桜木町にむかっていたんですね。

 

今からわずか150年前の話ですが、全くの別世界であったことを知ります。

 

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高台から降りてくると、神奈川台の関門跡があります。

 

江戸末期、横浜港を開港したものの外国人が殺傷する事件があとをたたず、各国領事から圧力をうけた幕府が神奈川宿の東西の関門を設置したのですが、ここはその西側の関門があったところのようです。

 

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しばらくこのように雑居ビルの間をあるいていくことになります。

 

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そして横浜駅から歩いて10分ほどにある浅間下(せんげんした)に出てきました。

 

この地図でいうと赤丸がその場所で、赤い矢印が歩いてきた道になります。

 

実はここで急用が発生して、保土ヶ谷宿に向かわずに一旦帰宅することになりました。

 

日本橋から歩いて約36km、約7時間ちょっとという時間でしたが、なんとか歩ききりました。

 

足はパンパン(笑)

 

ウルトラマラソンに向けての脚力確認が目的でしたが、これは先が思いやられます^^;;

 

 

 

そして日を改めて、電車で横浜まで移動しこの浅間下にやってきました。

 

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横浜駅近くの立ち食い蕎麦で朝食。

 

普段食べない朝食ですが、身体を動かしますのでなんか食べておきたい、と思って。

 

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この浅間下のすぐ近くに浅間神社(せんげんじんじゃ)があるのですが、富士山にある富士浅間神社の分霊を祀るために、1080年に創建されたという伝えだそうです。

 

1,000年も昔なんですね〜。。。

 

平氏が関東地方に進出したころでしょうか。

 

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このように道路に「旧東海道」という表示があります(^^)

 

このあたり、国道1号線の北側を平行に歩くのですが、進行方向右側、すなわち北側は高台になっています。

 

すなわち高台のすそに沿って旧東海道が進むようなイメージです。

 

横浜の西口が海だったことを考えると、このあたりも海は近くまであったんでしょうね。

 

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洪福寺松原商店街です。

 

ここを通ったときはまだ10時前で、多くのお店が開店準備をしていました。

 

その様子からするとこの商店街はかなりにぎやかなところのように思えます。

 

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こちら江戸見附跡の標識。

 

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そして保土ヶ谷宿に到着。

 

ここは帷子川(かたびらがわ)に渡る帷子橋で、昔は新町橋と呼ばれていたようです。

 

広重の絵にある橋がその新町橋で、橋を渡ったところに保土ヶ谷宿があったとのこと。

 

ずいぶん早く着いたな、と思ったら、神奈川宿から保土ヶ谷宿は5kmほどしかなく、五十三次の中でも間隔が短い区間ですね。

 

ここまで近かったら前回浅間下で帰らずそのまま保土ヶ谷宿まで来ちゃえばよかったなぁ、と思いました。

 

 

 

浅間下からスタートしたウォーキングは、このあと平塚宿まで一気に進みます。

 

次は保土ヶ谷宿から戸塚宿までをご紹介します。