48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

鉄人

鉄人、と聞くと何を思い出すでしょうか。

 

カラオケの鉄人:確かに街でよくみかけます(^^)

鉄人28号:なかなかの昭和の方ですね。

料理の鉄人:平成のおばけ番組でした。

アイアンマン:たしかに!

マーガレット・サッチャー:さすが近代史通ですね。

 

私は元広島東洋カープ選手の衣笠祥雄(以降”衣笠”とします)、。

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(画像:日刊スポーツから引用)

 

昭和40年(1965年)に京都の平安高校から捕手として広島に入団。

 

当時はまだドラフトがなかった時代です。

 

捕手として入団したのですが、マルチな才能を発揮して引退までに投手以外の全ポジションを経験した数少ないプレーヤーです。

 

衣笠の記録として最も有名なのが、連続試合出場の日本記録

 

当時は大リーグのルー・ゲーリックの記録を抜いて世界一でした。

 

引退まで2,215試合(1970年10月19日から1987年10月22日の17年間)は、まさに「鉄人」と言われる所以です。

 

何がすごいって、現役時代にデッドボールを161回も受けていて、これが未だにセ・リーグ記録!

 

最大のピンチは、1979年8月1日の巨人戦で西本から背中に受けたデッドボールで肩甲骨を骨折し全治2週間の診断。

 

しかし次の試合で代打に登場し、ストライクをすべてスイングして三振する見事な復帰をして、相手巨人ファン・ベンチからも拍手がおこりました。

 

1996年に大リーグのカール・リプケン・ジュニアに破られるまでは世界記録として君臨した成績です。

 

野球人としては、王貞治さんについで2人目の国民栄誉賞を受賞されています。

 

(野球界では、王貞治さん、衣笠、長嶋茂雄さん、松井秀喜さんの4人が受賞。イチローさんと福本豊さんは辞退したと言われています。)

 

この人の記録の凄さはとてもここでは語り尽くせないので、Wikipediaで御覧ください(^^)

 

 

 

さて、なぜ衣笠の話題になったのか。

 

オリンピックの番組編成でいつも楽しみにしているNHK番組がのきなみお休みとなり、食事をしながら何を観ようかとNHKプラスを探していたら、昔のNHK特集のアーカイブがアップされていて、そこに衣笠の密着取材があったのです。

 

1986年に放送された「17年間休まなかった男〜衣笠祥雄の野球人生〜」という番組。

 

衣笠という人はすごい記録を出したというだけでなく、その姿勢に尊敬を集める声が少なくありません。

 

デッドボールを受けても土を払ってとっとと一塁へ向かい、乱闘は起こしません。

 

そんな人となりの一部が紹介された番組で、衣笠の口から出てきた言葉にいくつか印象深いものがありました。

 

(デッドボールを受けて)悪意あってぶつけてくる人はいないはず。そして自分は向かっていくタイプ。だからデッドボールは仕方がない。

 

(そんなにデッドボールを受けてよく平気ですね)デッドボールは回って逃げるようにあたれば衝撃が小さいから大リーグの選手はそうやって逃げている。それは練習しましたよ。

 

(デッドボール受けても試合に出続けられるのはすごいです)デッドボールを受けた後は成績がいいことが多い。多分集中力がある。ハンデがあるから、いつも以上に集中力が出る気がする。自分が調子いい時は気負いがでてしまう。

 

(なぜそのゴルフの本を読んでいるんですか)いくつになっても練習しなきゃうまくなれない。野球だけうまくなればいいわけではなく、練習を通じて何かをつかむことが大事。そういうことが書いてあるからこの本は好きなんだよね。

 

(休みたいと思いませんか)家で休んでいるより試合に出るほうが自分の心が安定する。

 

(三振が多いことについて)難しいたまは当たらないものです。バッドを振る瞬間「あたる」と信じて振りに行ってる。それがたまたま当たらなかった、ただそれだけ。決してわざと三振しているわけではない(笑)

 

(連続試合出場について)いつも野球をしたいと思っていて、それが仕事になっている。その仕事があったということはものすごく幸せだった。いつもゲームに出ていられたということで、とても幸せなことだと思う。

 

 

 

この密着取材があったのは1986年なので、引退の前の年。

 

一つの道を極めてきた人だからこその、気負いのなさ、現実を受け入れる覚悟、おごらない、謙虚さといった姿勢を感じさせられる語録というのが私が視聴したときの印象でした。

 

NHKプラスで2022年2月12日午前1:11まで公開されているようです。

 

衣笠は引退後は野球解説を中心に活動をし、2018年4月に上行結腸がんのため亡くなりました。享年71歳。

 

失くなる4日前までテレビの野球解説の仕事をしていたそうです。

 

 

 

このドキュメンタリーでは、評判とおりの紳士たる衣笠が描かれていますが、若い頃は「野球選手になったら、金持ちになって、でかい家を買って綺麗な女と結婚する」と夢見ていたそうで(Wikipediaより)、球団がある広島地元のマツダではなくアメ車を乗り回し、何度も事故を起こしていたそうです。

 

また、これだけの実績があり人望がありそうな人なのに引退後は一切監督・コーチとしてグラウンドに戻ってこなかったのですが、Wikipediaによると、「自分一人ではどうこうできない人間関係の問題であることを示唆」したそうで、必ずしも人間関係が良好ばかりではなかったことを伺わさせられます。

 

またこれもWikipediaからの引用ですが(笑)極度の偏食で、魚が食べられず肉ばかり食べていて、後輩に「野菜たべなくていいんですか」と言われたら「野菜は牛が食うとる!」と一蹴したというエピソードもあるそうな(笑)

 

とても人間臭さを感じさせる逸話がある一方、それでも自分の選んだ道に対しては真正面に対峙していた姿勢に格好良さを感じました。

 

もっとこの人から野球の話をききたかったなぁ。。。