
さて前回はこの地図にあるように2つの宿のほぼ中間地点までの前編をお届けしました。
今回は蒲原宿までの後編です。

県道396号線に入りしばし交通量の多い道を進みます。

しばらくして一旦この県道を離れて脇道に入ります。(写真右手へ)

再び396号線に合流して富士川の近くにくるとこの水神社があります。
富士川は日本三大急流の1つ(他の2つは熊本の球磨川、山形の最上川)で水害を防ぐための堤防工事の完成を願って江戸時代初期に建立されたそうです。
この場所は訳15,000年前に富士山から流れた溶岩流が露出している場所で地盤が強固で水没しない場所だったからと言われています。

江戸時代はここから富士川を渡っていたんですね。

そして富士川を渡る鉄橋が近づいてきました。

富士川越しの富士山。全体像が見えるのでなかなかの絶景スポットでした。吉原宿と蒲原宿の間のメインはここかもしれません。

富士川を渡り小道をくねくね行くのですが、道路にこのような表示があり、曲がり角がわかります(^^)
ここから少し丘を登っていきます。

小休本陣常盤家。国有形文化財だそうです。渡船名主をつとめた家だとか。

岩渕の一里塚。見事な木ですね。

ここの一里塚は両側に見事な木とともにその痕跡がしっかり残っています。

道端にある常夜燈。

ここから再び山道に向かいます。

それなりに斜度のある坂道を登っていくとぽつりと馬頭観音が鎮座しています。

そして東名高速道路を渡ります。この辺りで富士市から静岡市にかわります。
東名高速を渡って丘を下っていきます。

蒲原の一里塚跡です。

北条新三郎の墓の入口。北条新三郎は北条綱重のことで、蒲原の城主だった人。武田信玄が三国同盟を破って駿河に攻め入ってきた時、北条は攻められた今川方につき、蒲原城に籠城するのですが、武田勝頼を総大将とし、信玄軍の中でも名将であった、典厩信豊(信玄の弟)、山県昌景を大将とした軍勢の猛攻にあい、ついに落城し、北条綱重は討ち死にしたといいます。

蒲原宿の東木戸、すなわち蒲原宿の東側(江戸側)の入口です。

ここはJRの新蒲原駅の近くになり、このように蒲原宿についての案内板が掲示されています。
このあたりはこの写真にもあるように、史跡がそれなりに残されているようです。

渡邊家土蔵で、渡邊家は材木を扱っていた旧家だったことから「木屋」という屋号でよばれていたらしく、「木屋の土蔵」とも呼ばれています。

新蒲原駅の裏側辺りにある旧型のポスト。
ここを蒲原宿のゴールとしました。
合計約12キロメートルのウォーキングでした。