今回の読書会の課題図書はこちら。
なにやら哲学めいた話なのかと思わせるタイトルですが、副題にありますように「哲学プラクティス・ハンドブック」です。
つまり「哲学対話」を行うために、こんな手順でこういうことを考えながらやるといい、という文字通りのハンドブックという位置づけです。
実は読書会までに読了することができず、読書会でメンバーに内容を教えてもらってから、一気にななめ読みしてなんとか読了しました。
なので、ちょっと読み込みという点ではかなり浅いです・・・
さきほど「ハンドブック」であるとお伝えしましたが、ただのHow to 本ではないことを読書会でメンバーに教えてもらい、残ったページを読んでみました。
本書は4つの章と付録で構成されています。
序章では「深い対話とはなにか」というタイトルで、”深く””対話”をするということについて丁寧に記載されています。
なぜ”対話”をするのか、それを”深く”やることに対する意義について解説してくれています。
第2章では「対話の目的と方法」として、どんなときに”対話”を必要とするのか、それをどのような方法で行うのかということが解説されています。
私がMBA取るときに最初にまなんだ「クリティカルシンキング」は、提示された情報・主張に対して「ほんとうかな?」という視点からながめ、妥当性について論理的に思考することですが、”対話”をする上でのスキルの1つとみることができます。
第3章では「対話の実践方法」として、実際に”対話”をする状況や場面に応じて、体系立ててその手法をまとめています。
実際に”対話”を普段の仕事や、活動に使われている人にとっては、とても参考になるまとめだと思います。
ここまでは、ハンドブックとしてそのままのスタイルを感じさせますが、大きく様相がかわるのが第4章です。
第4章は「知っておきたい哲学のテーマの概説」として、いわゆる”哲学的”テーマについて解説してくれています。
・人生と生き方
・政治と社会
・倫理と道徳
・宇宙と存在
・知識と科学
・神と宗教
いずれも、過去2,000年以上もの長い間、多くの天才・奇才・凡人たちが考えてきて未だに普遍的な”答え”がない、いわゆる”永遠のテーマ”的なものばかりです。
この本を読む人は、哲学的対話をするにあたってその対話をファシリテートする人が多いと思われます。
人を集めて、対話のテーマをみつけ、対話をすすめ、その流れによって何かを生む(結論とは限らない、と本書でも言っています)。
そういうファシリテーターが持っていたほうがいいであろう、ある意味教養でもあり、視点でもあり、自分なりに考えるという経験だったりします。
私の解釈では、どのテーマも一朝一夕で考えて答えがでるわけでもなく、また考え方や志向も状況や環境や日によって変わることもアリ得るわけで、そういうふわふわとした中で深く考えを掘り下げていき、新しい考え方や視点や見識を生み出すというプロセスを経験するには、もってこいのテーマなんじゃないかな、と。
普段周りの人をみてても、話をじっくり聴いてくれて受け止めてくれる人は、懐が深い、という表現の通り、いろいろな知見や体験を持っている人が少なくない気がします。
この本を読んで、読書会でメンバーとはなししてふと思ったのは、私は1人哲学対話をよくしているのかも、ということ。
以前「妄想」の話をしましたが、
走っているときや歩いているときに、考え事をすることが多くて、頭の中であーでもない、こーでもない、あーならどうする、こーならどうする、みたいなことを、頭の中のもう1人の自分と”対話”していることがあります。
自分:俺さぁ、こういうの嫌なんだよね
もう1人の自分:え?なんで?
自分:だってさあ、〇〇だから。
もう1人の自分:ふ〜ん、〇〇ということは□□ということは考えられないの?
自分:あ〜、それは考えてなかったなぁ。どうなるんだろう。。。
みたいな(笑)
簡単に言うと、感情的な自分と、比較的冷静なもう1人の自分(^^)
一旦感情に素直になり、そして一旦冷静になり、また感情に戻り、みたいなことですかね。
1人対話はそれはそれでいいのですが、自分の1人が知っている世界でしか展開できないのが残念。
2人でも、3人でもいれば、その人それぞれの世界があるので、それらを足し合わせて共有することで世界は2倍、3倍にもなりうるんですね。
複数人の”対話”の良さの1つはそこにもあると思います。
お硬いタイトルではありますが、ゆっくりと物事を考えてみたい、と思っている方には一読をおすすめしたい本です。