もともと今川氏が支配していたところ、今川氏の滅亡によって徳川氏が治めることになりますが、武田氏に攻め取られます。武田氏滅亡後再び徳川氏が治めるのですが、豊臣秀吉の命令で徳川氏は関東へ移封され、堀尾吉晴、山内一豊といった豊臣系大名が配置された、という移り変わりの多い地域でした。
大井川の水神を祀り島田宿の鎮守であった大井神社。
枡形見附で島田宿の西側の入口。川沿いに土手で囲って枡形の見附がつくられたのだそう。
二股の道を川越遺跡方面に向かいます。
大井川の川越の様子が伺える建物。東海道沿いに残されています。
当時の様子が忍ばれます。
イラストで当時の様子が描かれていました。
治水と灌漑用水を兼ねて作られた堤について説明してくれている看板。
遺跡の向こう側には大井川。
川越の様子をモニュメントに。このあたりは島田市博物館となっており、分館も合わせて多くの資料が展示されています。時間があればゆっくり見たいところでしたが、先を急いでいたのでなくなく通過。
(この日は1日に50キロメートル歩いて日暮れ前にホテルに着きたかったので、なかなか急いでいました)
ついに大井川到着。箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川。
流域が広いですね。
大井川橋。やたら長い。昭和3年に架設された鋼製のトラス橋なんだとか。長さ1,026メートル。
普段はとても平穏な大井川。眺めは爽快ですね。
大井川を超えて遠江国に入り、金谷宿の領域に入ります。
金谷宿側の川越し場の様子。たくさん宿があったようですね。
しずかな道を進みます。
途中線路が見えたのでちょっと寄り道。大井川鉄道の終着駅、新金谷駅。大井川鉄道といえばSLが走っていることで有名です。
あ〜、乗りたいなぁ、という衝動をぐぐっと抑えて先へ進みます。
新金谷駅の看板。
新金谷駅から1キロメートルほど歩くと今は書店となっている佐塚屋本陣跡に到着。このあたりが金谷宿の中心地となります。
慶応4年(1968年)明治天皇御東幸におり、ここで天皇が昼休みをとられたそうです。
明治3年、本陣は廃止され普通の旅人や役人の宿泊所(旅籠)となりました。
今はJAになっている柏屋本陣跡。金谷宿は先程の佐塚屋とこの柏屋が本陣を勤めていました。
金屋六人衆の1人河村八郎左衛門が名主を勤めていたとのこと。
1791年の竹下屋火事と呼ばれた大火によって焼失。再建されるも1954年の東海大地震で壊滅し本陣を廃業して、旅籠となったそうです。
島田宿から金谷宿まで行程は5キロメートルちょっと。10キロメートル前後の宿間が多い東海道にあって、この距離は短い方ですね。
ついに大井川を渡りました(^^)