遠江国に入って今回は金谷宿から日坂宿です。
金谷宿の脇本陣、角屋金原三郎右衛門家跡。金谷宿を焼失させた竹下屋火事直後は「脇本陣なし」となっていたようですが、その40年後には再登場しているようです。
金谷宿の様子をかいた絵図。比較的規模の大きい宿だったことが伺えます。
一里塚跡。日本橋から53番めの一里塚です。上には東海道線、大井川鉄道大井川本線の金谷駅があります。
大井川鉄道は大井川沿いを井川湖沿岸の井川駅までつなぐ鉄道で途中千頭駅で乗り換えをし、合計2時間半あまりの路線です。アクセスが大変なので、どこかでゆっくり訪れてみたいところです。
金谷大橋(西入口土橋)跡。金谷宿の西側の入口だったところです。ここからちょっと登りに入ります。
この石田畳の表示で道路から外れて山の中に入ることになります。
ひえ〜、上り坂ぁ(^^)1日歩き続けているのでここでの上り坂はなかなか堪えます。これから金谷峠を超えていきます。
石畳が始まります。東海道の峠道では歩きやすいように石畳が整備されていたようですが、当時の様子を残しているのは箱根峠、中山道十曲峠、とここ金谷峠のみとなっているらしいです。
石畳六角堂地蔵堂。旧金谷町民が六角堂と地蔵を寄付したとのこと。
さすが静岡、茶畑が広がります。
後鳥羽上皇の鎌倉幕府追討を命じた承久の変の失敗をうけて囚われた藤原宗行と、その100年後の正中の変で囚われた日野俊基の歌碑がかかれています。
一般道にでてきました。
日坂宿と金谷宿の標識。
小夜の中山の歌碑。
金谷峠が終わったら今度は中山峠。峠が続く難所です。南アルプスから続く台地でこのあたりが一番幅が狭いところになるみたいですね。
佐夜鹿の一里塚。日本橋から56番目の一里塚です。
この小夜の中山(さよのなかやま)の峠越えでは、このように歌碑をたくさんみかけます。
日が暮れてきたぁ〜。左手の道をいきます。
歌碑はこんな感じでも見つけられます。
日坂宿にはいってきました。
峠を過ぎて下る途中に位置する日坂宿。
日坂宿片岡本陣扇屋跡です。
問屋場跡。
脇本陣跡。
広重の描いた日坂宿です。
金谷宿から日坂宿までは約7キロメートルちょっとの行程。途中金谷峠、中山峠と2つの峠越えがあり、勾配もあったことからなかなかの難所でした。
静岡駅からこの日は日坂宿の次の掛川宿まで行き宿泊する予定でしたが、日坂宿に着いた時点ですでに夕方6時。
やばいやばい^^;;