今回の読書会の課題図書はこちら、疲労社会。
韓国で生まれドイツで活動している学者ビョンチョル・ハンの著作を横山睦氏が翻訳したものです。
ものすごく乱暴に要約すると、「競争社会、能力主義が浸透してきたことで、社会構造は互いにせめぎあい、自己さえ搾取をせざるを得なくなってしまった。それが”疲労社会”であり、うつ病など心の病を産む土壌となっている」という感じです。
実は読書会までに読了できず、途中までの状態で読書会に参加しました^^;;
それでも読書会に参加してくれたメンバーがいろいろな視点や感想を披露してくれたおかげで、たくさんの気づきや考えるきっかけをいただきました。
以前は「人々の活動を支配する」”規律主義”で、定められたルールやプロセスに沿って行動できることが評価されていました。
簡単に言えば、「上から言われたことをきっちりやれること」が評価されていたわけです。
「〜してはならない」「〜すべき」という表現に象徴されます。
「否定性」を特徴としていると著者は述べています。
したがって「否定されることを守れない人」が”悪い人”と定義されたわけです。
一方能力主義になってからは、能力を磨くことは自分次第、すなわち”自己責任”的な考えがひろがってきます。
「〜できる」という「肯定的」な表現に変化し、「否定性」から解放されます。
自発性や動機などが重視されるようになります。
ここでは「できない人」が低い評価をうけるようになるのです。
能力主義では、常に能力を発揮することと、成果を求められます。
そのため、自分を磨くことや常にポジティブであることが、かっこいいとか素晴らしいという評価をうけることになり、そんな流れについていくこと自体に疲れを感じるようになります。
疲労社会の始まりです。
「意識高い系」なんて言う言葉も代表的なものの1つかもしれません。
ある読書会メンバーから「実はSEの世界では自分の意思で働く方が、指図されて働くより生産性がいい、ことがわかっている。おそらく社会の決定権を持っている支配層がそれに気づいて、”規律主義”から”能力主義”に切り替えたんじゃないかと思う」という意見がでました。
なかなか興味深い視点です。
心の病が身近になってきたことの要因は、メディアや情報拡散速度があがったことだけではなく、実際に能力主義に移行してから増えてきたことにもあるのではないか、と思われます。
中国では「タンピン主義」という「なにもしない」という行動が若者の間で広がっています。
日本でも「出世したくない」という若者が増えてきているそうです。
いろいろな要因があるとは思いますが、その一つが「上司や先輩の姿を見て、こうはなりたくない」と感じる人が多いからではないかと感じています。
一昔前は「上司や先輩のようになりたくて」という憧れの対象が、残念ながら「反面教師」的な存在になってしまっているんです。
共感できる部分はあります。
私は数年前にサラリーマンをやめて起業をしましたが、規模を大きくすることは目指していないし、大儲けすることも考えていません。
そういう方向を目指すと”疲労”する、ということが、サラリーマン生活を通じてわかったからだと自分なりに思います。
同業者と競うことをするつもりはないし、自分の能力を誇示しようとも思いません。
「競争」することから完全に離脱しています(^^)
そのため経営は決して楽ではないのですが、今の生き方の方が幸せを感じています。
本書は哲学書でもあるので、私には読みにくく読了はしていませんが、書かれていることのエッセンスはきっと自分が共感できる部分が多いんだろうな、と読書会のメンバーに気付かされた気がします。