赤坂宿から藤川宿の続きです。
本宿から藤川宿へ向かいます。
十王堂跡。十王堂は閻魔堂(えんまどう)とも言われていたようで、旅人や村人から尊信されていたそうです。
本宿の一里塚跡。江戸から78番目になります。
宇都野龍碩(うつのりゅうせき)邸跡と長屋門。宇都野家は宝暦年間(1751〜63)に三代立碩が当地において医業を開業したのが始まりで、七代龍碩はシーボルト門人青木周弼に医学を学んだという。安政年間(1854〜60)当時最先端技術だった種痘を施している。
国道1号線と合流するポイント。解説板の後ろには名残松があります。
しばらくして1号線(写真左側)を離れこの駐車場のような土地を横切ります。横断歩道がかいてある(^^)
すると名鉄の線路ぞいにでてこの線路沿いを進みます。
ここでさらに線路沿いにいくために右手にでます。
「大丈夫か?」と心配になったところに「東海道」の看板を見て安心(^^)
冠木門。このあたりは舞木町と言われています。その由来がこの解説板にかかれています。「文武天皇の時代(697〜707)に雲の中より神樹の一片が神霊をのせて舞い降りる」と近くにある山中八幡神宮記の一部にかかれていることから、木が舞い降りるをとって「舞木」とつけられたのだとか。
御開運御身隠山碑。この先にある山中八幡宮は家康に由来する御身隠山(おみかくしのやま)に鎮座しているそうです。
名鉄の車両基地(笑)番外編。車両基地にはいろいろな種類の車両が止まっているので、鉄分多めの私には憩いの場(笑)
市場町の交差点で左奥に見えるコンビニローソンの前を通って左斜に進路をとります。
東棒鼻跡。石垣見附や榜示杭が再現されていて藤川宿の江戸側の入口になります。ちょっとした公園でした。
藤川宿の「曲手」。「かねんて」と読むそうです。これまでの宿で見られた「枡形」と同じで、宿に入るところからクランク状に道を曲げて直進的に侵入されることを防ぐ作りになっています。
市場町格子造りの屋並。加宿市場と言われていた地域で、馬荷役、助郷人の手配など参勤交代の補助協力を主体として倉町とも言われていたそうです。
藤川宿のメイン通り。さきほどのクランクで曲がった後はこのように直線の通りになります。この両側に旅籠などが並んで賑わっていたんですね。
津島神社社標。神社自体は国道1号線沿いに鎮座しているそうです。
高札場跡を示す看板。
建物の前に小さな石碑があり、ここや問屋場跡であることを示しています。
米屋だった旧野村家住宅。
銭屋。今で言う両替商ですね。
ここが藤川宿の本陣跡になります。公園になっていて整備されていました。
藤川宿の解説。
藤川宿の町並み。
本陣跡についての解説。
公園のむこうにみえる小高い山について名前の説明がありました。
ここは高札場もあったようですね。
本宿から藤川宿まで約5キロメートルほど。長くない距離でしたが、いろいろ見どころのある街道でした。
次回は岡崎宿へ向かいます。