昨年ステージIIで膵臓がんが見つかり手術を受けた父。
1年経って経過観察で検査をうけたところ、腫瘍マーカーの上昇がみられました。
本来ならCTスキャンやPETといった検査で体への負担をかけずに状況確認をしたいところなのですが、父の他の臓器の状況もあってそれがかなわず、造影剤をつかわない単純CT検査を行いました。
造影剤を使わないため画像制度がどうしても落ちてしまうらしいのですが、それでも膵臓が少し肥大しているらしい、という見解。
そこで腹腔鏡による細胞をとって調べるという検査をしてもらいました。
妹から「今後の治療方針について先生から説明があるので一緒に立ち会ってほしい」と連絡が入ったので、あまり良い結果ではなかったな、と頭の中をよぎりました。
検査の結果は、膵臓がんの再発。
手術、抗がん剤、何もしない、という選択肢から選んでほしい、というのが先生からの説明。
前回の手術以来、父は手術と入院をとても嫌がるようになりました。
手術をしたくない父が「何もしないとあとどれくらいの命ですか」と先生にきいたところ、「あくまでも一般論ですが3ヶ月から6ヶ月」という返事。
手術をするなら早いほうがいい、ということで返事の期限は1週間。
父は手術した場合に必要となるインシュリンの注射のトレーニングもあって、嫌々ながらさらに3日入院してから退院。
週末妹もやってきて4人で家族会議となりました。
といっても、父の人生。我々が説得というよりは、父が判断する上で必要な情報を伝えたり、解釈の仕方、視点を伝えるのが家族側の役割。
父はとにかく、手術と入院が嫌だといっていて、「俺はもう十分生きたからもういい」と少々やけになっていましたが、退院して少し落ち着いた模様。
夕食を終えてテレビを観ながら、「退院して体調もどったんじゃない?」というところから家族会議がスタート。
父の心境をきくところから・・・というつもりでしたが、母と妹が入れ替わり説明したり、意見したり^^;;
父をサポートしている母や妹も彼女たちなりのストレスはあるだろうから、これも必要かな、と思い話をしたいだけさせよう、とこちらはじっと話の成り行きを見守ります。
父が感情的になっていたのはある誤解があったらしい、など話をしているうちに父の状況把握が広がり、最終的には嫌だといっていた手術をうけることで納得しました。
一時期生きることへの執着が落ちているように見受けられていましたが、ここにきて回復してきたようです。
家族でこういう込み入った話をじっくりしたのは初めてかもしれません。みんな言いたいことを言えたし、その中で一つの方向性を導き出せ、いい話し合いだったと思います。
高齢の両親とは今後もいろいろ話をしていくことが増えていくかもしれません。
父の様子をみていて、生きることを選ぶ権利もさることながら、人生の幕を閉じる権利という概念についても意識することとなりました。
人生の幕をあけることは本人の意思ではかないません。
一度生をうけた自分が生き続けることを追求することは「生きる権利」として、人間社会に浸透しています。
一方で「人生の幕を閉じる」ことはまだたくさんの議論がかわされています。自殺、自殺幇助、安楽死、死刑制度などなど。。。
自分が同じような状況になったらどうするだろう。
いろいろ考えさせられる機会でした。
昨日お伝えしたipad、実家のあるマンションの管理棟に紛失物として届けられていたことが判明し、無事父のもとに戻ってきました(^^)
父の決断のあと、ちょっとしたいいお知らせ。幸先いいぞ(^^)