48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

カタール

サッカーワールドカップ(以降単純に”ワールドカップ”とします)が開催され、日本でもドイツに勝利した興奮とコスタリカに敗れるというがっかり感と、感情の浮き沈みにある意味楽しんでいるところも感じられます。

 

しかし今回のワールドカップはいつもと違う空気があります。

 

その理由は「カタールの人権問題」。

 

きっかけはイギリス大手メディアのガーディアン紙が「2010年から2020年にかけてワールドカップの施設建設で少なくとも6,500人の外国人労働者が死亡した」という記事。

 

そして後を追うように「カタールでは同性愛を法律で禁止している」というツッコミ。

 

ことの是非については語るつもりは毛頭ありません。

 

ただ私の中ではこの騒ぎに違和感を感じています。

 

一つは「自分の価値観を他人に押し付けている」空気を感じること。

 

加えて「過去の自分達の行為を棚に上げて正義感を振りまいている」空気を感じること。

 

 

 

過去の奴隷制度でどれだけの人たちを犠牲にしてきたか。

 

移民排斥で他民族、他宗教を認めない人たちがマイノリティの権利を声高に叫んでいる。

 

敬虔なイスラムの人たちからみたら、禁止されているお酒をガバガバ飲んで馬鹿騒ぎしてる他の国々の人達は、我々から見たら禁止されているドラッグを平気でくらってイカれた連中と同じようにしか見えないんじゃないか。

 

ヴィーガンの人達から見たら、血の滴りさえイメージさせる肉をくらう人たちは悪魔にしか見えないかもしれません。

 

自分の”常識”が当然相手にも通じると思って”世の中の常識”と言わんばかりにまくしたてる人が、他人から見たらただの”非常識”な人間に見られていることに気づいていない人が少なくないかもしれない。

 

昔「科学で証明されないものは真実ではない」と豪語して、「おまえは嘘つきだ」と好き放題人を非難していた物理学者がいましたが、世の中のどれくらいのことを知っていたのだろうか。

 

※この物理学者は一時期バラエティによく出ていて私の卒論発表時に居眠りしていた人です。

 

 

 

どれもこれも、「自分の視野に収まっているものしか受け入れられない」という姿そのもので、一部はそれを傲慢にも他人をその視野に収めようとして、相手に干渉しているように私には見えてしまいます。

 

当然それに抵抗する人がいる。

 

だから争いが起きる。。。

 

そして当事者が、当事者の関係者が、さらに無関係者が被害を被ることになる。。。

 

 

 

まずは目の前の人を理解するところからが一歩目じゃないか、という感覚をもつようになったのはここ数年。

 

それを教えてくれたのはシェアハウス事業を通じて関わってくれた人たち。

 

そんな思いをするようになったから過去の自分の傲慢ぶりがとても恥ずかしく感じ、罪深い思いをすることがよくあります。

 

過去のそんな自分には蓋はできないので、これからの行動に遅まきながら活かせるようにしたい、と僭越ながら思うこの頃。

 

だから違和感を感じることも少なくない。

 

 

 

 

これまであまり注目がされなかったカタールという国を今まで以上に知るチャンスを、このワールドカップはもたらしてくれてるというのが私の受け止め方。

 

私はカタールという国についてあまりにも知らなさすぎます。

 

僅かですけど、今回を機にカタールのことをもう少し知ることができたら、と思います。

 

 

まずはカタールの場所から。

 

首都:ドーハ

面積:約11,000平方キロメートル(日本の約3%)

人口:約250万人(日本の2%)

 うちカタール国籍が約10%で残りは外国籍

1人あたりのGDP(MER):約5万4千ドル(日本の約1.6倍)

独立:1971年(イギリスから)

通貨:カタール・リヤル(11月28日現在 1カタール・リヤルは約38円)

公用語アラビア語(英語も共通語として使用されている)

国教:イスラム

 カタール国籍の約95%がイスラム教徒でスンナ派が中心。

 

Wikipediaより)

 

アラビア諸国は石油に変わる産業を模索しているところで、観光業はその一つと思われます。

 

日本も観光業は大きな柱に育てたいという意向を持っていると思われ、友好を図るための共通の課題材料がありそう。

 

考え方に距離感はあっても握手ができるような間柄でありたい。。。