今回は宮宿から桑名宿です。
といいいながら、ここはほとんど歩いていません^^;;
というのも本来ここは「船で渡る」ところだからです。
宮宿から桑名宿の間は「木曽三川」と言われている木曽川、長良川、揖斐川が横たわり、橋をかけることができなかったため、海上を移動することにし「七里の渡し」と言われるようになりました。
昔と今では海岸線が違っていたんですね。
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こちらの記事に当時と今の海岸線の違いを示した図が掲載されています。
海が引き潮のときは海岸線が遠ざかるため、外回りで十里になったそうです。
前回のゴール地点赤本陣跡のそばにある宝勝院。熱田湊常夜燈を管理していたそうです。
川の下流にでてきました。ここを右折します。
丹羽脇本陣跡です。なかなか風流な建物ですね。破風付玄関を残していて名古屋市の指定文化財になっているそうです。
西浜御殿跡。西浜御殿は1654年に尾張藩二代藩主徳川光友が造影したもので東西65メートル、南北59メートルああり、幕府高官や公家、大名の客館として使用されていたそうです。
宮宿側の七里の渡しです。
このように熱田湊常夜燈が復元されています。
本来はここから船、と行きたいのですが、定期便がなくNPOが年に1〜2度運行するくらいで、残念ながら訪問した日程は対象外でした。
ということでここからは”電車”で桑名に移動します。
駅に行く途中で熱田神宮。宮宿の”宮”はこの熱田神宮のことだったんですね。
熱田神宮の最寄りの駅「神宮前」から名鉄に乗って名古屋駅に行き、そこからJRで桑名に向かいます。
こちらは桑名駅。ここから一旦七里の渡し跡に向かいます。
七里の渡しの近くにある大塚本陣跡。現在は船津屋として少人数の結婚式やレストランなどが運営されているそうです。
こちらは脇本陣駿河屋跡。現在は山月として旅館が営まれています。
七里の渡しにきました。
七里の私の標識です。
ここから尾張国に別れを告げて伊勢国に入国です。ここから近江国を通って京都に向かっていきます。
東海道五十三次のウォーキングも残り4分の1となりました。
今回はほとんど電車でしたがこのような行程でした。