48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

東海道五十三次ウォーキング 四日市宿〜石薬師宿(1)

四日市宿をでて次なる宿石薬師宿へ向かいます。

今回も長い行程になるので2回にわけてお送りします。

 

 

近鉄四日市駅四日市はJRの駅もありますが、ホテルは近鉄の駅周辺に集中しています。

 

近鉄四日市駅近くを流れる小川の阿瀬知川を渡ります。このあたりの東海道はこのように脇道のように狭い道です。

 

近鉄の赤堀駅近くの踏切。ここにも「東海道」の私設看板があります。歩く旅人にはとてもありがたい(^^)

 

大宮神明社(おおみやしんめいしゃ)。主祭神天照大御神(あまてらすおおみかみ)。鎌倉時代、岡山の麓に奉斎され、1562年この地に遷座したそうです。

 

興正寺(こうしょうじ)。864年の創建とかなり古い歴史があります。親鸞聖人の教化により天台宗から浄土真宗に改めたそうです。宗派は真宗高田派。信長、秀吉、家康の庇護をうけたという。同じ興正寺で有名なのは京都と名古屋に同名の寺があり、京都は同じ浄土真宗でも真宗興正派、名古屋は真言宗と宗派が違う。

 

日永神社(ひながじんじゃ)。神戸藩主本多家の崇敬が篤かったという。

 

長命山薬師堂。鎌倉時代中期咲くの薬師如来像を安置しているそうです。

 

日永一里塚跡。江戸日本橋からちょうど100番目になります。

 

東海道名残の一本松。このあたりから泊の集落まで東海道の両側に低い土手が築かれて、その上に大きな松の樹が並んで植えられていたそうです。その間には家は一軒もなく縄手(なわて)と呼んでいたそうで、その縄手に植えられていた松だそうです。

 

追分の分離地点。ここから右へ展開します。

 

追分駅脇にある踏切です。ここを超えていきます。

 

電信柱の前に東海道の進路の矢印がかかれた道標があります(^^)これに沿って右へ展開。

 

内部川を渡ります。このあたりは釆女(うねめ)町と呼ばれていています。釆女とは、天皇に仕える女官のことをいい、この地の出身者が多かったんだそうです。

 

橋を渡ってこの道路から左斜の道へ向かうのですが、このままでは左へいけないので、手前にある階段で右下へ降りて、この道路の下をくぐっていきます。

 

この正面の家の玄関左側の窓に小さい「東海道」と書いた看板が掲げられているんです(^^)ここにも私設看板がありました。

 

そしてすぐに今度は電信柱に「杖衝坂(つえつきざか)」と左へ矢印がかかれた看板がでてきます。坂?そう、上り坂が始まるんです・・・

 

これからじっくり上り坂を進んでいくのですが、それは次回以降に。

 

 

行程としては約8キロの道のりでした。

 

石薬師宿まではあと3キロメートルちょっとです。