将棋界の2大スター藤井聡太五冠(以降”藤井さん”)と羽生九段(以降”羽生さん”)が王将戦というタイトルを争っていることを先日お伝えしました。
それに関連したネット記事が流れてきたのでふと見たら興味深いことがかかれていたので、軽い気持ちでシェア(^^)
PRESIDENT Onlineの記事で「集中力を高めるために本番前にやるたった一つのルーティン」というお題です。
表現が今どきのキャッチーなところを狙った感じが個人的には気に食わないのですが(笑)それよりも中身です。
将棋界の2人のスターに「どのように集中力をコントロールするのか」という質問をしたところ、2人とも同じような答えが返ってきた、といいます。
羽生さん:
「対局の前には、こんなふうに進むかもしれないと考えたり、シミュレーションをしたりします。でも、だいたいはシミュレーション通りには進まないので、予想外のことが起きても対応できるよう、心の準備をしておきます。つまり、『予想外のことが起きるものだ』と考えておくことです」
(PRESIDENT Onlineの記載をそのまま抜粋)
藤井さん:
「(略)どう展開するかをある程度シミュレーションというか、想定しておくと、いざ対局が始まってからも将棋に入り込みやすいです。ただシミュレーションといっても相手の出方をきっちり予測するというほどではなく、頭の中で軽く『こういう展開もありえるのかな』と考えておく程度です」
(PRESIDENT Onlineの記載をそのまま抜粋)
お二人に共通しているのは、
いくら考えても、考えていないことは起こりうる、ということを受け入れる
ということでした。
羽生さんは30年以上トップで走り続けてきた第一人者で、私と年齢が近いから頷けるところがありますが、藤井さんは若干20歳。
私はここ数年でやっと理解できるようになってきた考え方なのに^^;;
言われてみると「当たり前じゃん」と感じられるかもしれませんが、意外と普段の生活でその「当たり前」ができていないことが多いんですよね(^^)
例えば、誰かと約束したのだけどその相手が約束を守れなかったとします。
多くの人がまず「なんで約束守れなかったんだよ!」と怒りますね(^^)
「なんで」と表向きは理由を訊いているように聞こえますが、実態は約束を反故にされたことに対する怒りの感情を相手にぶつけるための言葉にすぎません。
これは裏返すと、「相手は約束したことを”当然”守る」と考えていて、「相手が約束を守れない」という状況を想定していない、できていなかった状態とも言えると思います。
「約束は守られるものだ」という無意識の自分の思考の枠の中で、思考範囲がとどまってしまっているから、「約束が守られなかった」ことを想定していない、あるいはできないんですね。
約束はしたものの、
・電車やバスが遅れるかもしれない
・相手に緊急の用事が入るかもしれない
・天気が突然変わるかもしれない
・相手が約束を守ろうとしないかもしれない
など、約束が守られないかもしれない、ということもある程度想定しておくと、いざ約束が反故にされたときに、「なんでだよ」という直線的な感情ではなく、「そうきたか・・・」とちょっと冷静に状況を受け止めることができると思います。
もし冷静でいられたら「なんで?」と詰問するのではなく、「どうした、なにかあった?」とまず相手の事情に寄り添う余裕が生まれます。
そんなお付き合いができれば、ゆとりのある距離感をもつことができて、自分自身のゆとりにつながるだろう、と私は50歳を過ぎてやっと実感し始めました^^;;
自分の知っている範囲、カバーできる範囲なんてほんのちっぽけなもの。その知っている範囲の外、カバーできる範囲の外は無限に拡がっているから、仕方がない(^^)
だからどんなことにも「想定外」は起こりうるわけで、その時がきたらその時に対処を考えればいい、という割り切り感覚です。
藤井さんも羽生さんも将棋界のトップに君臨しているのは、とてつもない読みができるのが理由の一つですが、それでも「想定外」が起こる、ということを知っていて、それを受け入れる力をもっている、ということがこのインタビューから伺えます。
何でも知っている気になっていたり、相手が自分の知っている範囲内にいるものと決めてかかったり(いわゆる上から目線)すると、とかく傲慢になってしまいますね。
自分の想定外を受け入れいること、それが謙虚、ということなのかなぁ、なんてこの記事を読みながら思いました(^^)
そんなふうに考えるようになって、だいぶ動じなくなってきた気がします。
でも先日スマホを落としたときはちょっとしたパニックでした(笑)まだまだ至りません^^;;