48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

徳川吉宗

吉宗、といったら何を想像するでしょう。

 

米将軍

享保の改革

暴れん坊将軍

大岡越前守忠相の抜擢

などなど・・・(^^)

 

先日NHK BSで放映されていた「英雄たちの選択」という番組で、徳川吉宗のあらたな一面が紹介されていました。

www.nhk.jp

 

それは「薬草の国産化の祖」という一面。

 

徳川吉宗はとても好奇心の強い将軍だったといいます。

 

挨拶にくる長崎のオランダ商館長に、いろいろな質問をぶつけていたといいます。

 

法律、政治、経済、文化、とその内容も多面的であったといいます。

 

吉宗の時代は、富士山の三大噴火の一つである宝永大噴火があったり(今の宝永火口ができた噴火です)、享保の大飢饉がおこったり、と自然災害に見舞われた時期でもありました。

 

救荒作物(きゅうこうさくもつ)と言われるココヤシやさつまいもなどの栽培を奨励し、米以外の食物をつくるという飢饉対策をしたのも吉宗だそうす。

 

全国の人口調査を始めたのも吉宗からだそうで、今日本がどういう状況にあるのか、という現状を知ろうという姿勢が伺えます。

 

当時日本は鎖国政策のもと、海外からの書籍を輸入することは禁止されていましたが、漢訳洋書として、中国語に翻訳された洋書の輸入を認め海外からの情報を取ろうとしたのも吉宗。これによって医学や生物学など進んだ海外の情報がもたらされるようになり、国内の発展に貢献したと言われています。

 

番組では、「吉宗の”No but”が注目すべきところ」と指摘していました。

 

No、すなわち「駄目」だけで押し通してしまったら、何も変わらないけど、No but、すなわち「駄目だけど、こういう条件なら」という道筋を見つけることで、新たな局面に迎える機会が生まれる、ということです。

 

Yes、Noの二者択一ではなく、Noだけどこういう条件なら、Yesだけどこういう条件なら、みたいな選択肢ができることで、YesまたはNoの立場を尊重しつつ落とし所を生み出すことが可能になります。

 

なるほど(^^)

 

そして吉宗は草木誌(そうもくし)という生物学の書物に出会います。

 

オランダ語で書かれたその本は1600年代に作成されたもので、詳細なイラストが描かれており、特に加工された乾燥した薬草しか知らない日本人にとって貴重な情報である、とみた吉宗は、これを野呂元丈という本草学者に翻訳を指示します。

 

そして信用のおける4人の学者を採薬師として任命し、日本全国を回って日本にどれくらいの薬草があるのかを調査させたんですね。

 

当時日本の薬はいわゆる漢方薬で、中国からの輸入に頼っていたんだそうです。

 

それは莫大な額になり、当時の日本の貿易赤字を生む要因の一つでもありました。

 

このときの調査で、今でも使われている黄連という植物や、ドグダミなどが見つかってたくさんの薬草が自生していることが判明したそうです。

 

また当時万能薬と言われていた朝鮮人参の国産化にも取り組みます。

 

この朝鮮人参、直射日光にあたったり、水が葉にあたったりするとそれでだめになってしまうという栽培が難しい植物。

 

輸出元の中国でも国内のごく一部に自生しているにすぎない、というものだったそうです。

 

それを10年以上かけて自生させることに成功し、そのタネを一般人にも解放し全国で栽培ができるようになり、ついには朝鮮人参の輸出国にまでなったそうです。

 

 

 

 

暴れん坊将軍のイメージが強い吉宗ですが、江戸時代にあって中興の祖といわれるくらい、江戸幕府が260年続くことへの貢献度はとても高いという見方があるようです。

 

吉宗は将軍職を長男家重に譲りますが、二男・宗武(むねたけ)や四男・宗尹(むねただ)を独立させて田安家、一橋家を興します。一橋家といえば、10代将軍家治で吉宗の嫡男の流れは途絶えますが、一橋家から家斉(いえなり)を11代将軍としていれ14代家茂(いえもち)まで吉宗の血筋が将軍家を担います。(15代将軍慶喜は一橋家からではありますが、生まれは水戸家で、一橋家に養子としてだされているため、吉宗の血筋からはかなり遠いことになります。家康まで遡るので(^^))

 

家康が興した江戸幕府は、三男家忠の流れで第2代から第7代まで、十男頼宣(よりのぶ)の紀州家の血筋で第8代吉宗から第14代家茂まで、最後は末男頼房(よりふさ)の水戸家の血筋で15代慶喜、というのが将軍の流れ。

 

 

 

当番組のMCの1人である歴史家の磯田道史氏が「吉宗四段活用」を披露していました(^^)

 

集める

知る

選ぶ

活かす

 

情報、材料を集め、その内容を知り、その中から必要なものを選び、活用することで活かす、という行動が吉宗の特徴だということです。

 

その原点は、冒頭に触れた「好奇心」なのかもしれません。

 

余談ですが、ランニングシェアハウス近くを流れている隅田川の河川敷にある桜の木は、この吉宗が植樹を指示したんだとか。桜を見る人が行き来することで堤防の土を固めるのが狙いだったとか。

(画像:押上一丁目仲町会ホームページより引用。左の赤い印は牛島神社の入口の目印である「常夜灯」だそうです)

 

今でいうとこのあたりですね。現在は上に高速道路が走っています。

 

似たような話は、日本堤がそうですね。有名な遊郭を堤の先にある吉原に移転させたのは、そこへ通う人たちによって堤を固めようというのが狙いだったという説があるそうです(^^)

 

 

 

 

吉宗の新たな一面を知ることとなりました(^^)