先日お伝えしたように、やっとウォーキングを再開し京都三条にゴールしました(^^)
これから毎週その街並みについてのご紹介も再開したいと思います。
今回は亀山宿から関宿です。
亀山宿の西町問屋場跡。
こんな街並みです。雰囲気でていますよね。
飯沼慾斎生家跡。飯沼慾斎(いいぬまよくさい)は江戸時代の本草学者。
亀山城西之丸外堀跡。写真がうまくとれていないのですが、堀を形成していた土手らしきものもあり、昔このあたりにお城があったことが伺えます。
亀山城は伊勢亀山藩の藩主が住んでいた居城で、幕府の宿所としての役割も担っていたので、上洛する家康、秀忠、家光らが天守に泊まったそうです。そのため、城主は二の丸に住んでいたのだとか。
京口門跡。亀山宿の西端に築かれた門。門へ通じる坂道は左右に屈曲し道の両脇にはカラタチが植えられて不意の侵入を防いだとされています。
往時は坂の下から見上げると門・番所がそびえる姿が壮麗だったことから、
亀山に過ぎたものの二つあり伊勢屋蘇鉄に京口御門
と謳われるほどだったといいます。
森家住宅。明治後期に建築された国有形文化財指定物件です。
野村の一里塚。立派で国史跡に指定されています。江戸日本橋から105里目になります。これは現存しているもので、植えられているムクノキは樹齢400年になるんだとか。へ〜〜〜。
亀山藩大庄屋打田権四郎旧宅跡。打田家は江戸時代初期から続く大庄屋。いまゆる名士、というやつでしょうか。打田権四郎(1641〜1758と書いてあるけど117歳まで生きたのかな?)亀山領に関する記録集「九々五集」を編纂したそうです。
この三叉路を右へ。真ん中に「東海道」という小さな看板があるのがわかるでしょうか(^^)
すっかり葉っぱになりましたが、ここは桜並木ですね。きっと2週間くらい前は絶景だったんでしょうね。
名阪国道ガード下にはこのように広重の絵が鑑賞できます。
関の小萬(こまん)のもたれ松。
江戸中期、九州久留米藩士牧等左衛門(まきとうざえもん)の妻は夫の仇を討とうと志し、旅を続けて関宿山田屋に止宿、一女小萬を生んだ後病没した。小萬は母の遺言により、成長して三年程亀山城下で武術を修行し、天明3年(1783)見事仇敵軍太夫を討つことができた。 この場所には、当時亀山通いの小萬が若者のたわむれを避けるために、姿をかくしてもたれたと伝えられる松があったところから「小萬のもたれ松」とよばれるようになった。(小萬のもたれ松(東海道 - 亀山~関) - 旧街道ウォーキング - 人力から引用)
関の一里塚跡この鳥居の左側に標石がありました。
いよいよ関宿。その街並みです。
街の景観をかなり大事にしているようで、このように消化器具収納ボックスもレトロ感たっぷり。
旧浅原家。屋号は江戸屋で米屋と材木屋を営んでいたそうです。
御馳走場跡。宿の役人が参勤交代でくる大名を送迎した場所らしい。
関まちなみ資料館。1825年築の建造物。
川北本陣跡。
伊藤本陣跡。
約6キロメートルの行程でした。