今回の読書会の課題図書はこちら。
孫泰蔵氏の今年の新書「冒険の書 AI時代のアンラーニング」。
著名人でもある孫泰蔵氏の新書ということもあり、Amazonでは売れすじのようで、私の通っていたビジネススクールでも本書のセミナーが開かれるらしく、いわゆる話題の本の1つのようです。
「なぜ学校はつまらないだろう」
こんな件(くだり)から始まります。その身近な問いかけから、
「私たちはなぜ勉強しなきゃいけないの?」
「好きなことだけしてちゃダメですか?」
「自分らしく生きるにはどうすればいいの?」
「世界を少しでも良くする方法は?」
とどんどん問いが拡がっていき、「人が学ぶ理由、それは、」という問いで終わります(^^)
ん?問いかけだけ?
いや、それらの問いかけに対して、「ではなぜその問いが生まれたのか」ということを過去に遡ってその起源となった人物や書物を紹介をしてくれています。
そして主人公(著者の孫氏)が「そういうことだったのか。それなら〇〇であったらいいのに」とか「それなら〇〇であったほうがいい」と知見を得ていきます。
何か結論を出すというわけではなく、また何か主義主張をアピールするものでもなく、主人公の”冒険”(本書ではそう表現しているファンタジーな体験)を通じて、読者の我々の知見が広がる、そんな書かな、という印象です。
実は読書会直前で半分しか読めておらず、残りは当日の朝に斜め読みした程度なので、熟読はできていません。
ただ、私としてはこの本を読んで、何かを得たというよりは、むしろモヤモヤしたと言ったほうがあたっています。
主人公が本書の中で「〇〇すべきだよ」と感じるところがたくさんあるのですが、どれも大なり小なり、なんかしっくりこなくて、「そうかなぁ・・・」と思ってしまうんですね。
本書では「教育」と「学び」という言葉が頻出します。
似たようで全然異なるこの2つの言葉。
「教育」は文字通り”教える”ことで、何かしらの知識、思想などを”伝え”、そしてそれを覚え”させる”行為、と私は認識していて、覚え”させられる”人物は基本”受け身”です。
知らないことを単位時間あたりに濃密に知ることができるという一面がある一方、一方的に刷り込まされるという一面もあります。
同じことを”教える”ので、ある意味”画一的”であり、”多様性”とは相反する方向でもあります。
一方「学び」はある意味「教育」とは真逆かもしれません。
何かしらの知識、思想などを”探し”、そしてそれを覚え”る”行為で、覚え”る”人は基本”能動的”です。
知ることは単位時間あたり希薄になりがちですが、自分の独自性がもてる一面があります。
個人によって”学ぶ”ことは違うのでとても”多様的”です。
その「教育」と「学び」をごちゃまぜにやろうとしているのが「学校」なんですね。どうして学校はつまらないんだろう、という問いかけがでてきます。
私はこの本で主人公が「だから〇〇したらいいんだ」という見解に賛同しきれないところはたくさんあるものの、今当たり前に考えていることに「問いかけをする」という姿勢は、なるほどと思わされました。
学校はいかなきゃいけないんだろうか
子供と大人は区別しなきゃいけないんだろうか
学年は同じ年でないといけないんだろうか
能力ってなんだろうか
遊びと学びと仕事は別々なのだろうか
などなど。
大人になって、時間の経過を早く感じるのは、好奇心が子供の時よりも下がって記憶に残る量が減るからだ、と以前チコちゃんで取り上げられていました。
好奇心が下がるのは、目の前に起こっていることが「当たり前」と思うことが増えることと関連性が高そうです。
りんごをみる。赤い色をしている。「ふ〜ん。それで?」が大人の反応(笑)
りんごみる。赤い色をしている。なんでだろう?どうして赤いんだろう?え?その前は青色なの?なんで青色なんだろう?どうして赤くなるんだろう?この赤はなんなんだろう?どうしていっぺんに赤くなるんだろう?
こんな具合にどんどん疑問がでてくるのが子供の反応。
我々の世界では、さきほどの「ふ〜ん。それで?」は「思考停止」とも言われるときがあります。そう、考えが止まっている(笑)
それでは新しいことは生まれないよ、それが起業家でもある孫泰蔵氏のメッセージの一つかもしれません。
でもね・・・(^^)
新しいことを生み出すといっても、その弊害っていうのもあるんじゃない?とか・・・
成長しなきゃ、って言ってるけど、成長って?とか・・・
成功したい、って言ってるけど、成功って?とか・・・
多様性っていうけど、社会を共有するためのルールは必要だよね?とか・・・
私なりの問いがまだまだたくさんあるのです(^^)
今の私の中で、キーとなるんじゃないかと思う言葉は「塩梅(あんばい)」。
まだまだ暗中模索です^^;;