このブログで時々紹介しているNHKの番組「フロンティア」。
番組のタイトルの通り、いろいろな世界の最先端を見せてくれます。
BS放送なのでNHKプラスではみられません。なので、レコーダーに毎週録画しています。
なかなかゆっくり見る時間がなく録画したまま放置していましたが、先日やっと視聴。なかなか興味深かったので、ちょっとご紹介します(^^)
”日本人”のルーツはどこなのか、ということを生物学的に追いかけました。
”日本人”の定義は文化的、地政学的、生物学的と観点次第で定義は変わりうるものですが、この番組ではDNAという観点でルーツを探っていました。
DNAを調べると興味深いことがわかってきました。
日本人のDNAを調べると、中国、東南アジア、インドの人たちと実はパターンがだいぶ違うらしい。
(画像:番組をテレビ越しに撮影したもの。以降すべての写真が同様です)
このグラフでみるとわかるように、日本人のDNAって東アジアの民族と比べてみると実はちょっと特殊らしい。
特に蒙古斑がある、顔が似ているといったモンゴル人ともかなり違うことがわかります。
そしてこの写真の左上に赤く示されているグループ。これが「縄文人」なんだそうです。
つまり東アジアとの違いは縄文人の要素が組み込まれているところにあるようなんです。
実際縄文人のDNAが含まれている割合は、現在本州にすんでいる日本人で約1割、沖縄の人で約3割、アイヌの人で約7割なんだそうです。
そして、その縄文人は非常に特殊で現在は全くいないし、同じような人たちが外国にいないことがわかっているそうです。
そこにタイで外界と完全に閉ざして生活しているマニ族のDNAが実は縄文人にかなり近いDNAを持っていることが判明。
つまりマニ族の祖先と日本人の祖先がかなり近いということです。
アフリカから東へ移動し、インドの北側を通って東南アジアにたどり着いて反映し、その後その一部が日本にわたったのですが、氷河期が終わり温暖化で氷が溶け海の水位があがったことで、陸続きだった日本の周辺が海に沈み孤立して、日本独特の縄文人となったのではないか、と推測されています。
孤立したがゆえに、縄文文化は独特なものになったようです。
その後大陸から農作技術と金属をもった渡来人がやってきて、縄文人と渡来人の混血が進み弥生人となります。
これまで日本人はこの弥生人がある意味ルーツと言われていました。
ところが弥生時代のあとにきた古墳時代の遺跡の解析が進むと驚くことがわかりました。
古墳時代の日本人、古墳人には、弥生時代にはなかった第3の遺伝子が混ざっていて、それが現代日本人のそれとその割合がほぼ変わらないことがわかったのです。
この第3の遺伝子はどこからきたのでしょう。
DNAの分析によると、弥生時代に来た渡来人のDNAが北東アジアのそれに近く、古墳時代にきた第3のDNAは東アジアのそれに近いらしい。
つまり弥生時代と古墳時代の間に一気に大陸から渡来があって混血が進んだということです。
つまり、古墳時代の日本は言葉も文化も全く違う人達が混在していた”超多様社会”だったことが想定されます。
日本は古来とても多様性のある社会だったんですね。
いつから画一的な社会になってしまったのだろうとふと思ってしまいます。