今回の課題図書はこちら。
「能力」という言葉。我々は普段何気なく使っています。
あいつは仕事ができるよね。能力あるよね。
あの人はちょっと仕事がイマイチだね。能力が足りないんだよね。
え、どんな能力が足りないの?
集中力が足りない気がするなぁ。いや、みんなとの協調力が足りないのかなぁ。やっぱコミ力かなぁ。。。
なんか能力がないのは、自分のせいのように扱われるこの世の中。
そう、能力開発は自己責任。
え、そうだっけ?というのが、この本で問いかけたい内容です。
著者は組織開発を専門として、企業で働いた後独立。家庭をもってお子さんにも恵まれましたが、がんの闘病をしている真っ最中。
なので本書は、母親がすでに死んでいて、会社の立ち位置に悩んでいる息子の前に突如降りてくるおばけと2人の子どもたちの対話形式という形態をあえてとったそうです。
母親としての自分から子どもたちへの「教え」としてまとめたと著者はまえがきで書かれています。
本書に書かれていることは、ところどころにまだ「?」を感じるところはありますが、私なりに本書をきっかけに感じたことはあります。
まず、これまでに何の疑いもなく「能力」という言葉を使っていたな、ということを自覚させてくれました。本書の視点が欠落していたな、という自省です(^^)
そして、この「能力」という指標。本書にも触れていますが、実にアバウト(笑)
例えば甲子園に出場する野球選手たちは、とても野球が上手で「能力」が高いといってもいいでしょう。すぐにプロ野球にいける人材もいるかもしれません。
でも大リーグに行ったらどうでしょう。ほぼ結果を出せずに終わってしまい「能力」がないね、と評価されてしまうでしょう。
そう、「能力」はそれを評価する環境と評価をする人によって変わってしまう、実に”相対的”な指標なんです。
今は大リーグのスターである大谷翔平選手。高校時代に大リーグにいっても使い物にならなかったでしょうね。
つまり高校時代は「能力がない」と評価されたかもしれないけど、今は「能力が高い」と評価されるわけです。そして40年後は大谷翔平選手も70歳近いですから、大リーグで通用するパフォーマンスは出せないでしょう。それは「能力がない」ということになります。
同じ人物でも「能力」の評価がこんなに変わるのは、評価する”時期”あるいは”期間”という時間の単位が入っているからというのが私の感覚。
そして一時的な「能力」という”レッテル”を貼ることで、ある意味自分の立ち位置を知ることができて安心してしまうところも、実はあるのではないかと感じます。
そして「能力」という指標はほとんど”定性的”であって、評価指標としては実に使いにくい(笑)
私も会社で「能力主義」という評価方針で評価をされたし、評価する側にもたちました。評価する側としては、まぁ、難しかった^^;;
逆に評価された側として、「あんなに評価されてよかったのだろうか」と思うところもあります。
一方で「能力」という言葉は、状況を把握するのにとても便利だったりします。
ある専門分野において、期待するアウトプットを期待する時間ないに出せる人は「能力がある」とみなします。
その能力に応じてアサインする業務量やレベルの調整を図ることができるからです。
「至る所で会社から周りから”能力”という言葉で責められたり、自己啓発を促されたりしてつらい思いをしていませんか。それは決してあなただけの問題じゃないよ。」ということが著者の伝えたいメッセージの一つです。
「できる、できない」は環境が変われば評価も変わります。
私が入社したときに、化学については大学生レベルでしかなかったのに、配属された事業本部で私より知っている人がいなかっただけで、えらく評価されました。(電気とメカとソフトのプロはたくさんいました^^;;)
化学を専門とする研究所のような職場だったら、逆に「つかえないな、こいつ」と言われていたかもしれないんです。
「能力」という指標そのものの批判ではなく、”使い方”に対する問題提起、が本書の肝なのかもしれません。
「能力」という言葉はもっと丁寧に、注意深く使う必要があると、本書から学ばせてもらいました。