吉村昭シリーズで、私のとっては高熱隧道に続いて2冊目になります。
解体新書を出版したことで有名な杉田玄白と、実は解体新書の翻訳では中心的な役割だった前野良沢の2人にスポットをあてた小説です。
話の展開としては、杉田玄白よりも前野良沢側に寄った立ち位置と感じます。
徳川吉宗が将軍晩年の1740年代にオランダ語に出会った前野良沢。その時はさつまいもで有名な青木昆陽に師事する。
そこから25年経て1769年長崎に留学し、オランダ語は簡単に習得できないと自覚。
やっとの思いで手に入れたターヘル・アナトミアというオランダ語で書かれた医学書を杉田玄白も持っていた。
玄白に誘われて腑分けに立ち会えた良沢は、玄白の提案で中川淳庵等と一緒に、ターヘル・アナトミアの翻訳に着手することになります。
しかしオランダ語を知っているのは良沢のみ。その良沢もほんの僅かの単語を知っているに過ぎないレベル。我々がなんの予備知識もない状態で、全く知らないアラビア語を訳することと同じようなことでしょう。
苦労の末3年余りをかけて翻訳ができあがります。
ここで良沢と玄白の行動が分かれます。
翻訳ができたとはいえ、訳のレベルが低くてとても満足がいかなかった良沢は、訳者として自分の名前が掲載されることを固辞します。また本として出版すること自体にも否定的でした。
一方玄白は、中国からきた間違った医学の知識しかしらない日本の医学界に、少しでも早くこの内容を届けることこそが医学への貢献として、少しでも早く出版すべきと主張します。
ここから良沢と玄白の間に溝が生まれ、それがどんどん大きくなっていきます。
翻訳書を「解体新書」として出版した杉田玄白は、その後名声を得て、弟子、家族にも恵まれた生活を送ることになります。
一方翻訳以降の関与を辞した良沢は、弟子を取ることもせず、ひたすらオランダ語の研究に没頭し続けますが、長女、長男、妻と自分より先立たれてしまい、生活も苦しく、困窮した生活を送ることになります。
見事なまでに対象的な人生を送った良沢と玄白。
この劇的なドラマ性に吉村昭が着目したのも、本書を読むとうなづけました。
藩医でありながらオランダ語の研究に没頭し、人との交わりでさえ拒絶し自分の世界にのめり込んだ良沢は、さながら才能をもちながらそれを誇示することを嫌う純粋で貧乏な学者のよう。
一方、オランダ語は全くわからないけれど、良沢に最大限に活躍してもらう環境つくりに奔走したり、自分に足りないものを持っている人材を取り込むことで、チームとしての力を発揮させ恵まれた生活を享受できた玄白は、今でいるベンチャーを立ち上げて財を成した起業家、というところでしょうか。
小説としての面白さはもちろん、良沢と玄白とのコントラストに引き込まれる作品です。
起業家として成功した玄白は、決して”恵まれていた”だけではないことがこの小説をみるとわかります。
もちろん10代で医者として藩に抱えられる事自体優秀な人材である証でもありますが、良沢の性格を把握して、力を発揮させようとしたり、積極的に弟子をとって塾を開いたり、自分にない素養を持つ客がいると塾の講師として招いたり、次世代を育てるということにかなり尽力していた様子が伺えます。
本人も社会活動にかなり顔を出しており、いろいろな付き合いをもって人脈拡大を図っていました。
学者肌の良沢は、そんな玄白を、ある意味自己顕示欲の強い人物と評して、嫌っていたようです。著者吉村昭氏も似た感情があるのかな、となんとなく感じられます。
私はむしろ逆で、起業家として成果を出すにはそれなりの努力が必要ですから、自己顕示欲は大きなエネルギーにはなれど、様々な思考、行動力、自我を抑える我慢など多くの努力ができる人物として、むしろ敬意をもつくらいです。
自立して10年。
法人を立ち上げた頃は、会社を育てて自分もうるおいたいという野心のようなものがありましたが、自分の責務、役割、社会貢献、実力、人生の送り方などいろいろ感じる(考えるというより”感じる”という感覚の方が近いです)ことがたくさんあり、玄白のような生き方より、むしろ良沢のような生き方に近づいてきているかもしれません^^;;
加齢のせいなのか、性格的なものなのか、へたれなのか、感性なのか、なにか違うなぁと思いながら自分のほどよい場所を探しているようです。
一方でそんなコンフォートゾーンばかりではなく、自分を追い込んで一歩先へという感覚もあり、行動にも表れるようになってきました。
そんな今の自分だからこそ、この本を自分なりに楽しめたかもしれません(^^)
